<首都残景>(16)雑司が谷 旧宣教師館 「おはなし」に耳を澄ます

2020年9月20日 07時00分

食堂だった部屋では月に1度、朗読会「『赤い鳥』を語り継ぐ、おばあちゃんのおはなし会」が開かれている=いずれも豊島区で

 雑司ケ谷霊園から程近い住宅地の中に、その洋館は立っている。一九〇七年にアメリカ人宣教師のジョン・ムーディ・マッケーレブが居宅として建てたもので、現在は豊島区が取得し、「雑司が谷旧宣教師館」として、一般に公開している。
 木造二階建て。日の当たるバルコニーに風が吹き抜け、質素な居室にロッキングチェアが揺れている。天井や暖炉には細かな意匠があり、十九世紀後半の米国の郊外住宅の様式だという。庭にはマッケーレブが米国から持ち込んだセイヨウナシ、ユリノキ、ダイオウショウなどの大樹がそびえている。

アメリカ人宣教師のマッケーレブが暮らした近代木造洋風建築の「雑司が谷旧宣教師館」

 そんな異国の空気に触れるだけでも興味深いが、雑司が谷辺りは文豪・夏目漱石が愛した土地だけに、明治、大正の文化の薫りが色濃く残るのも面白い。
 九月五日、洋館で「『赤い鳥』を語り継ぐ、おばあちゃんのおはなし会」が開催されていた。
 地元で育った詩人の小森香子さん(91)が十五年ほど前から月に一度、続けてきた会だ。
 大正時代に創刊された童話雑誌「赤い鳥」は、芥川龍之介の「蜘蛛(くも)の糸」、北原白秋の「赤い鳥小鳥」などの傑作が発表される場となった。同誌を主宰した鈴木三重吉は、漱石の門下でつくる木曜会の主要メンバーで雑司が谷に縁が深かった。
 また「赤い鳥」で活躍した児童文学者、「日本のアンデルセン」と呼ばれる小川未明(みめい)も、近くに居を構えていた。

新型コロナのために現在は閉鎖されている、童話雑誌「赤い鳥」(復刻版)などが並ぶ児童図書コーナー

 そうした地域が育んだ文学の系譜を伝えるため、小森さんは「読み聞かせ」を続けてきた。
 この日は小川未明「笑わなかった少年」、秋庭俊彦「バーデロ」の二本の童話を朗読した。
 「文学好きだった母が小川先生と親交があり、私は生まれたときから先生の童話を読み聞かせられて育ちました。生家は戦争で焼けましたが、この洋館に来て、先生の童話を読ませていただいていると、昔の家に戻ったようです」と話す小森さん。
 集まった文学ファンはマスクをし、汗を拭いながらも、朗読の声に耳を澄ませている。とても穏やかで平和な午後だ。
 次回の「おはなし会」は十月三日(土)。無料。詳細は電03(3985)4081。
 文・坂本充孝/写真・隈崎稔樹
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