団塊の老後

2020年9月21日 06時32分
 今日は敬老の日。超高齢社会の日本において最もボリュームが大きい団塊の世代も七十代になった。その数で日本を変えてきた彼らの高齢化で何が起こるか。彼らは今、何を考えているのか。

 <団塊の世代> 1947(昭和22)年から49年に生まれた人たちのこと。出生数で800万人。人口ピラミッドで大きな塊に見えることから、作家の堺屋太一が名付けた。これまでも政治、社会、文化など各方面で大きな影響を与えてきた。彼らが後期高齢者になれば社会保障費の急増が懸念され、その時期を取って「2025年問題」といわれる。

◆大人にならない世代 映画プロデューサー・鈴木敏夫さん

 「団塊の世代」と呼ばれるきっかけとなった堺屋太一さんの小説が(一九七六年に)出た時には無視しました。二十年後に手に取って面白く読みましたけれど、当時はやはり世代でひとくくりにされることが嫌でした。
 四七〜四九年生まれは八百万人もいて、常に商売のターゲットになってきました。僕らの世代向けにペアルックを売り出したある百貨店の次の宣伝文句が「友達夫婦」。二十五歳前後で結婚する人が多かった。漫画雑誌の「少年ジャンプ」は団塊世代のお父さんが家に持ち帰って、団塊ジュニアたちが読むケースが多かったようです。いみじくもジブリのファンも、核だった親からその子、そして孫の世代へと続いています。
 大学で自治会活動に携わりましたが、現れた指導者が学生ではなく三十〜四十代のプロの活動家だったことがショックでした。「自己批判」が「自己否定」というさらに強い言葉に変わっていくことも納得できず運動から離れました。そんな頃、レヴィストロースの著作と出合いました。先進国とそうでない国があって、一応日本も先進国の中に入れてもらっているけれども、そうした区別はおかしい。後進的な社会にもすぐれた知性はあるし、そもそも「人類は進歩などしていない」という思想に衝撃を受けました。
 彼の思想で重要なのが身の回りにあるものを寄せ集めて問題を解決する「ブリコラージュ」という概念です。ぼくが三十歳で出会った宮さん(宮崎駿氏)はまさにこうした「ブリコラージュ」の人でした。宮さんのことをより理解するためにレヴィストロースを読み返す。この作業を七十歳を過ぎた今でも続けています。
 宮崎駿と出会い、映画プロデューサーになったことで夢がかなったかと問われても「そうです」とは断言できない。仕事は基本的に、暮らしの糧を得るためにあるので、やってきた仕事をコツコツこなしていくしかないというのがぼくの考え。服装も髪の毛の長さも本人次第で「大人にならなくていい」というのが団塊世代の大きな特徴だと思いますが、これも、たまたま僕らはこういう時代と出合ったのだととらえています。若さに力点の置かれた現在を良しとする一方で、大人になるための通過儀礼があった時代に憧れる気持ちもあります。
 (聞き手・中山敬三)

 <すずき・としお> 1948年、愛知県生まれ。スタジオジブリ代表取締役プロデューサー。アニメ雑誌「アニメージュ」編集長を経てジブリ専従となり「千と千尋の神隠し」などをプロデュース。

◆年齢性別 縛られずに 立命館アジア太平洋大(APU)学長・出口治明さん

 日本は、少子化と高齢化という問題を抱えています。少子化に対しては「性別フリー」、高齢化に関しては「年齢フリー」の意識を持ち、社会制度や構造を変えていくことが重要だと僕は考えています。
 少子化の根源には女性差別があります。家事や育児、介護は女性の仕事と思われている。そんな日本は、先進国の中で最も男女格差の大きい国です。性差別をなくす視点から少子化対策を進め、人口を増やす。それがこの国の最大の課題です。
 年齢フリーを推進するためには、まず定年制を廃止することです。定年制は、日本特有のガラパゴス的労働慣行の一つだと思っています。これを廃止し、いつまで働くかは個々人が自由に決めるべきです。
 僕は団塊世代の一人ですが、何歳まで働こうかと考えたことは一度もありません。朝起きて元気だったら働きに行くし、しんどくなったら辞めればいい。そう思っています。それで、ライフネット生命をつくった時、就業規則に「定年制はない」と明記しました。
 秦の始皇帝が最後に望んだのは不老不死でした。長寿社会は人間の理想です。しかし、大切なのは元気に生活できることです。では、どうすればいいか。医師に聞くと、全員が「働くこと」と答えます。ただ、仕事は人生のすべてではありません。人は、健康で自分の好きなことをするために働くのです。
 先日、タクシーに乗ったら運転手さんは高齢の男性でした。聞けば、年齢は八十三歳で、週三日働いている。なぜかというと、週末に友人とマージャンをして酒を飲み、楽しく過ごすのに必要なお金を稼ぐためだと話していました。年金は全部奥さんに渡しているそうです。素晴らしい人生ですよね。
 個人差は年齢差や性差を超えます。団塊の世代は七十歳を超えました。しかし、年齢に関係なく頑張っている人はたくさんいます。年齢で人を見るのは間違っています。
 年齢フリーの観点から見ると敬老の日はなくした方がいいと思います。高齢者は無条件で敬うという考え方は年功の発想そのもので、ゆがんだ意識を生み出します。高齢者が豊かな人生経験を若者に語り、よい社会をつくるために共に学び合う。そういう趣旨の日に変えたらどうでしょうか。
 (聞き手・越智俊至)

 <でぐち・はるあき> 1948年、三重県生まれ。京都大卒。日本生命を退職後、還暦でライフネット生命を開業。2018年から現職。歴史、哲学・宗教など著書多数。近著に『還暦からの底力』(講談社)。

◆好き勝手 永遠に前衛 京都大名誉教授・富永茂樹さん

 私は一九五〇年の早生まれで、四九年生まれと同学年。団塊の世代かどうかの境界にいて、パワフルな上の人たちに引っ張られてきました。
 思い出すのは六〇年代。私の出身地の滋賀のように保守的な所でも、初めて「自由」というものが見えてきました。良くも悪くも、自分で自分の行動を選ぶことができた。日本において、好き勝手にやれた初めての世代と言っていいと思います。
 それができたのは、物心ついた時には民主主義が当たり前になっていたことが大きい。「平等」というものが出来上がった中を自由に泳いでいったのが団塊の世代。親や教師との関係が変わり、敬語抜きで話すことも珍しくなくなった。上下がひっくり返ってしまった。
 問題は、自由になったはずが、本当に自由だったのかということです。それは幻想ではなかったか。日本社会は簡単には変わらなかったのではないか。例えば、六〇年代は東京に出て行く人間が増えました。行動が変わり、生活が変わり、生き方が変わりましたが、新しい思想は生み出せなかったのではという疑問があります。
 私は『理性の使用』という本で、近代的主体である「市民」の形成をフランス革命を通じて明らかにしようとしましたが、自由で平等である団塊の世代が市民となり得たのかといえばノーと言わざるを得ません。市民とはいろんな意味で自立していること。一人の人間としてやっていくんだという自覚を持つことですが、結局、日本的な相互依存から抜け出せなかったのではないか。甘いといえば甘いし、封建社会という敵はそれほど大きすぎたとも言える。
 今や団塊の世代も七十代。でも、いくつになっても変わりませんね。体力は落ちたが気力は昔のまま。相変わらず好き勝手にやろうとしている。ある意味、永遠に前衛。今と六〇年代では大きく違っているのにね。六〇年代は見る物すべてに希望を持てた、持てるような気がしたのに、今は見る物のほとんどに希望を持てない。
 今、そんな団塊の世代に言葉を掛けるとしたら、どうしてもアンビバレンス(両面感情)な言葉になりますね。「ええかげんにしたらどうや」と言いつつも、心のどこかで「頑張ろ」と思う。面と向かって言いたくはありませんが。
 (聞き手・大森雅弥)

 <とみなが・しげき> 1950年、滋賀県生まれ。専門は知識社会学。著書に『理性の使用』『トクヴィル』など。編著に『転回点を求めて−一九六〇年代の研究』『啓蒙(けいもう)の運命』など。


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