<文学碑の散歩道>夏目漱石 「猫の家」の碑 我が輩の家である

2020年9月22日 07時08分

夏目漱石の旧居跡(猫の家)に立つ碑=文京区で

 生誕地、母校、作品の舞台…。文学者ゆかりの地に立つ碑は文面も由来も形もさまざまだ。一つ一つに物語がある。
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夏目漱石

 夏目漱石(一八六七〜一九一六年)の妻は猫嫌いだった。ある日、生まれたばかりの子猫がどこからともなく家に迷い込んできたので、すぐ外へつまみ出した。しかし、猫はいつの間にか戻ってきた。それが何度も繰り返された。
 もしその時、漱石が「そんなに入ってくるんならおいてやったらいいじゃないか」と声を上げなかったら、猫は夏目家に居着けず、おそらく名作「吾輩は猫である」も生まれなかっただろう。
 当時漱石は、東京市本郷区駒込千駄木町(現・文京区向丘)の借家に住んでいた。漱石より前には森鴎外も暮らしたことのある家で、今は愛知県の明治村に移築保存されている。
 旧居跡地の日本医大同窓会館脇に、鎌倉の漱石愛好家たちが「夏目漱石旧居跡」の碑を建てたのは七一年五月。川端康成が題字を書き、碑文には、それまで英文学の教師だった漱石がこの家で「吾輩は猫である」「坊っちゃん」「草枕」などを創作し、作家としての地位を確立したことが記されている。
 碑の周りには猫の像が二つある。一匹は塀の上を歩き、もう一匹は地上でうずくまる。今にも動きだしそうな、そして何やらつぶやき出しそうな様子だ。 
 漱石は〇三年から〇六年まで千駄木に住み、本郷西片町(現在の文京区西片)を経て〇七年、早稲田南町に転居した。後年、千駄木の家には「猫の家」の愛称が付いた。
 猫は〇八年に死んで庭に葬られた。漱石は墓標に追悼句をしたため、知人一同に死亡通知を出した。世間的にも有名な猫だったが、名前は最後までなかったという。
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 都内に点在する文学碑を訪ね、その作家や俳人らにまつわるエピソードを随時、紹介します。

◆題名の初案は「猫伝」

「吾輩は猫である」下編(日本近代文学館が復刻した大倉書店・服部書店版)

 「吾輩は猫である」を漱石に書かせたのは俳人の高浜虚子。当時神経衰弱気味だった漱石に「文章でも書いてみたら」と気晴らしのつもりで持ち掛けたのが発端。題名も漱石が考えていた「猫伝」より「吾輩−」の方が良いと助言した。長編の予定ではなかったが、最初の部分を俳誌「ホトトギス」に載せると大変な評判で、漱石も気を良くして書き継いだ。

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