たった一人のオリンピック 山際淳司著

2020年9月27日 07時00分

◆夢かなわなかった人の物語
[評]満薗文博(スポーツジャーナリスト)

 「競技場に参加国すべての旗が掲揚されている。一九六四年十月の、東京の風がいろとりどりのデザインをほどこした布をはためかせるだけでなく、ロープをも揺らしていた。そのロープがポールを打っている。(略)市川(崑)監督は、オリンピックというと、あのときの、ロープがポールを打つ音を思い出すという」。本書の一節である。
 市川監督の映画「東京オリンピック」は、公開されると「芸術か記録か」が論争となった。六四年東京五輪の年、山際淳司さんは高校一年生、私は一級下の中学三年生だった。きっと、同じ頃に、あの映画を見たのだろう。
 ノンフィクション作家、山際さんの代表作は、多くの人が知る『江夏の21球』であり、この短編が収録された『スローカーブを、もう一球』だろう。だが、今回出たのは『たった一人のオリンピック』の表題通り、五輪にまつわる八編を集めたものである。そして、それは、日本がボイコットの挙に出た八〇年モスクワ五輪代表らを含め、多くは「夢かなわなかった人たち」の物語である。脚と目と耳を総動員して書かれた作品は、当然のことながら珠玉である。
 不肖私は、大学で「ジャーナリズム論」の授業を持ち、「表面、見たままを書くな。過去、現在、未来、そして何より人を書け」と、口酸っぱく講じて来た。今回、再び読み返してみたら、山際さんの手法は、まさに「人を書く」ことで貫かれ、読み手の内面に迫るものである。コロナ禍で、今は不自由な学生生活を送る若い人たちにも、これを機に、ぜひ、手に取ってほしい一冊である。
 山際さんが、四十六歳の若さで、がんのため逝ったのは九五年のことである。四半世紀、二十五年の時が流れた。山際さんの文章がみずみずしさを失わないのは、オリンピックを目指した若者たちの生きた目、心に迫ったからである。若者たちの思いは、今も昔もそれほど変わらない。
 東京オリンピックが、今は霧の中である。山際さんが健在なら何を思っただろう。
(角川新書・990円)
1948〜95年。ノンフィクションライター。スポーツ関係著書を多数残した。

◆もう1冊 

山際淳司著『風たちの伝説』(河出書房新社)

関連キーワード

PR情報