棋士の極限の心理描く 『死神(しにがみ)の棋譜(きふ)』 作家・奥泉光さん(64)

2020年9月27日 07時00分
 二〇一一年五月、将棋の羽生善治(はぶよしはる)名人に森内俊之九段が挑む名人戦七番勝負の第四局当日、東京・千駄ケ谷の将棋会館に顔を出したライターの北沢は、控室で詰め将棋に首をひねる棋士らを目撃する。それは、会館の隣にある鳩森(はとのもり)八幡神社の将棋堂に矢で刺さっていた「魔の図式」だった。矢文を見つけた元奨励会員は謎の失踪を遂げる−。
 冒頭から実在の棋士やタイトル戦が登場し、読者は現実と虚構の間へと引きずり込まれる。純文学のジャンルにミステリーやSFの構造を取り込み、唯一無二の作品世界を広げてきた著者が、最新作で選んだ題材は「将棋ミステリー」だった。「高校時代からの『観(み)る将棋ファン』で、中原(誠・十六世名人)−米長(邦雄・永世棋聖)時代から『羽生世代』が出てくる様子をウオッチしてきた。いつか将棋で小説を書きたいと思っていた」と、並々ならぬ思い入れを語る。
 過去に存在した謎の団体「棋道会」。北海道の廃坑に存在する地下神殿。読者は北沢とともに、謎に次ぐ謎にからめ捕られ、次第に幻想の世界へと分け入っていく。その中では、将棋というゲームの業の深さや魔性の側面も強調される。
 死神の鎌の下で、奇妙な駒を使った「龍神棋」を指す棋士たちの姿が、真剣勝負における極限の心理を描写している。「ここに描かれた世界は、将棋ファンが見る夢。実際に棋士がそんな状況で指しているわけではないとは思う。でも『棋士は生き死にを懸けて指している』という一種の幻想こそ、プロ将棋という世界を支える柱になっている」。その言葉に、将棋への深い理解と愛情がにじむ。
 奥泉作品といえば趣向を凝らした文体が特徴だが、本書はあえて「シンプルな一人称で書いた」という。「僕の作品は長くなりがちだが、今回はすっきりまとまった。将棋というゲームの世界を描く以上、エンタメとして自立させたいという思いが強かった。将棋ファンはもちろん、ミステリーファンにも楽しんでもらえるはず」と胸を張る。
 藤井聡太王位が史上最年少の十八歳で二冠となり、空前の将棋ブームの中での刊行となった。タイミングは偶然だが、「彼が頂点に立つことは火を見るより明らかでしたよね」。歴代のトップ棋士に紛れるように、作中にも登場させている。探しながら読むのも一興だろう。新潮社・一九二五円。 (樋口薫)

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