<家族のこと話そう>病と歩む力くれる母 ご当地タレント・塚本明里さん

2020年9月27日 07時33分
 私は三つの病気の患者です。インフルエンザの高熱のような倦怠(けんたい)感が続く「筋痛性脳脊髄炎」、二十四時間全身に痛みが走る「線維筋痛症」、髄液が減るため頭を起こしているのが難しい「脳脊髄液減少症」で、高校二年の時に発症。最初は風邪かと思いましたが、治らない。異常に体が重く感じ、締め付けるような痛みにも襲われました。
 母と二人で病院を回り、一年半後、十六人目の医者に出会ってようやく病名がついた。痛みを疑いの目で見られることもあって、母は赤飯を炊き、父や二人の兄とともに家族全員で喜びました。
 今は週に二日、麻酔注射を四十カ所にしています。痛みが和らぎ、それから三時間だけ休めます。普段は朝起きると全身がぎゅーっと絞られるような痛み。体調によっては一日動けません。頭を起こし続けていると倒れてしまうため、普段は横になっています。
 移動はリクライニング機能のある車椅子。前が見えず自分で動かせないので、外出はいつも母にサポートしてもらっています。母は私の介助のために仕事をやめました。それでも、「娘がいろんなところに連れて行ってくれる」と言ってくれます。
 母は明るくてアクティブ。料理も裁縫もできてコミュニケーション力も抜群。「明里の心は変わってない」と言い、病気になる前と変わらず接してくれています。腫れ物を触るように扱われていたら、普段の自分でいられなかったと思う。心が明るくいられるのは、母のおかげです。
 車椅子で、友人のモデルを応援する姿が、今の芸能事務所の社長の目に留まり、商店街のゆるキャラの広報担当として活動を始めました。当初は、十分に活動できない自分にいら立つことも。痛みがつらすぎて、周囲へ感謝の気持ちを忘れたこともあった。そんな時は母に叱られました。「みんなのおかげで仕事ができている。一人でできると思わないで」と。
 一つ一つ、今できることをこなすことで、成功体験が増えた。できないことを数えるのではなく、できることを数えるようになりました。
 つらくて家でつぶれた姿は母しか知らない。悲しくて泣いたことはないけれど、悔しくて一人で泣いたことはある。そんな私を見守ってくれ、本音が言えるのも母です。
 父は「自分が稼ぐから、お金はいくらかかってもいい」と治療することに対して背中を押してくれました。
 夢は、車椅子の姿で朝の情報番組に出ること。いずれ、金銭面や体調も含めて自立できることが、家族への恩返しになると思っています。
<つかもと・あかり> 1990年、岐阜県可児市出身。2011年、当時、岐阜市の柳ケ瀬商店街のゆるキャラだった「やなな」の広報として、活動を開始。12年、筋痛性脳脊髄炎を啓発しようと患者会「笑顔の花びら集めたい」を発足させた。19年に県ヘルプマーク普及啓発大使に任命。可児市ふるさと広報大使、岐阜大ゲスト講師などを務め、各地で病気を啓発する講話に取り組む。
 聞き手・長田真由美/写真・布藤哲矢

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