コロナとメディア

2020年9月28日 07時13分
 二十世紀前半、未知の伝染病が世界中で猛威をふるい、一億とも言われる命を奪っていきました。今コロナ禍の真っただ中、私たちは歴史から何を学ぶべきなのか、メディアは何を伝え残すべきなのか。多くの歴史書を世に問うてきた「藤原書店」(東京都新宿区)社主の藤原良雄さんに聞きました。(聞き手=論説委員・飯尾歩) 

<スペイン・インフルエンザ> 一般には「スペイン風邪」。第1次世界大戦中に米国から発生したと推定されるが、戦争当事国は被害を秘し、中立国だったスペインが公表したため、その名が広まった。世界の患者数は5億人、当時の総人口の3分の1に上り、死者数は4000万人とも1億人とも言われている。『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』では、日本国内の死者は45万人以上と推計されている。 

◆「個人史」伝え残して 「藤原書店」社主・藤原良雄さん

 飯尾 藤原さんが二〇〇六年、つまり十四年前に出版した『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ−人類とウイルスの第一次世界戦争』(速水融(あきら)著)。今、よく読まれているようですね。
 藤原 一九一八年から二〇年まで、三波にわたって日本でも多くの犠牲者を出し、史上最悪のパンデミック(世界的大流行)と言われた「スペイン風邪」の実態を多方面から詳細に記録したものなんですが、著者は「スペイン・インフルエンザ」という呼称で統一しています。ただの風邪ではありませんからね。ところがこの大パニックというか、大惨事、どういうわけか、日本では、長い間、忘れられた存在だったんです。『日本を襲った…』は、今のところ国内唯一のまとまった記録の書だと言われています。
 飯尾 それがコロナ禍の今になって、脚光を浴びているわけですが…。著者の速水さん(昨年十二月、九十歳で死去)は、感染症の専門家でも医療関係者でもなく、歴史学者なんですね。
 藤原 そうです。既存の文献資料を地道に掘り起こし、「歴史人口学(デモグラフィー)」の手法で真実をあぶり出した一種の「事件史」なんですよ。
 飯尾 スペイン風邪という災厄を「パンデミック事件」として包括的にとらえたわけですね。なぜ忘れられてしまったのでしょうか。
 藤原 第一次大戦のさなかで、戦死者と感染による死者の区別が難しかったこと、直後の関東大震災で十万人の命が一瞬にして失われてしまったこと、超有名な人物の命を奪わなかったこと−などが理由ではないかと速水さんはしています。しかし歴史は必ず繰り返す。それが、歴史学者である速水さんの信念でした。だから忘れられたままにはしておけないと。
 速水さんは終章をこんなふうに結んでいます。
 <嵐のもとでの市民生活の維持に、何が最も不可欠かを見定めることが何より必要である。つまり、まずスペイン・インフルエンザから何も学んでこなかったこと自体を教訓とし、過去の被害の実際を知り、人々がその時の『新型インフルエンザ・ウイルス』にどう対したかを知ることから始めなければならない>と。歴史に学べ−。著者の思いは、このひと言に尽きるでしょう。
 飯尾 「マスクをしなさい」とか「“密”を避けなさい」とか、「新しい生活様式」などと呼んではいるものの、スペイン風邪への対策として日本人が大正時代に身に付けた、いわば「旧習」ですからね。
 藤原 そうそう、歴史的教訓なんですよ。
 飯尾 そういえば速水さん、基礎資料として当時の新聞記事を多用していますよね。新聞記事から紡いだ歴史と言ってもいいほどに。
 北は「北海タイムス」から南は「鹿児島新聞」。当時日本の統治下にあった、樺太や朝鮮半島や台湾で発行されていた日刊紙も含めて計三十紙。紙面の写真もたくさん掲載されています。よくぞこれだけ集められたと思います。
 藤原 スペイン・インフルエンザが流行した当時、マスメディアと言えば、新聞のほかには、なかったこともありますが…。日本でラジオ放送が始まったのは、確か一九二五年でしたから。しかし、それだけではないはずです。活字メディア、特に新聞の持つ記録性、連続性という特色は、今も大変重要なものだと思っています。
 例えば今、各紙の朝刊に毎日掲載されている、都道府県ごとの新型コロナ感染者と死者の増減表。その数字を丁寧に追うことで、歴史家ではなくても見えてくるものがあるんです。
 飯尾 記憶と記録の大切さ−。近ごろ政治家や官僚の皆さんには、ひどく軽んじられているようですけれど…。
 藤原 今さら言うまでもないことかもしれないですが、スペイン・インフルエンザの時代とコロナの時代の大きな違いは、スピード感だと思うんです。
 ウイルス同様、インターネットの情報が瞬時に世界を駆け巡る。あふれるほどの、しかし玉石混交の情報が次から次へと津波のように押し寄せてきて、使い捨てにされていく。受け手の側にじっくり考えるいとまを与えてくれません。
 飯尾 情報の使い捨て…ですか。
 藤原 そして今のこのコロナの時代、多くの人が一番感じているのは「恐怖」です。何十万、何百万の死者が出るとか、ワクチンができるとか、できないとか、終息までに十年はかかるとか…、多くのメディアが人々の心にたやすく恐怖を植え付けて、結果として社会をまひさせている。
 もちろん、警戒は必要です。しかしね、人類はスペイン・インフルエンザという大惨事を乗り越えてきているんです。
 歴史を学び、記録を読み、データを比較することで、何を恐れるべきか、何を恐れなくてもよいのかが見えてくる。その分だけ、恐怖から解放されるんですよ。今度、「正しく恐れる」という本を出してやろうと思っています。
 飯尾 情報とはウイルスにもワクチンにもなり得るものなんですね。メディアは今、何を伝えるべきなんでしょう。
 藤原 今やテレビでも売れっ子になった歴史家の磯田道史氏、速水さんのお弟子さんなんですが、彼の言う「個人患者史」の視点をマスメディアにも持ってほしい。いわれなき差別を受けた患者の苦悩、倒産に追い込まれた飲食店主の苦衷、恐怖にとらわれ「自粛警察」と化してしまった人たちの胸の内、あるいは間違った正義感…。コロナ禍における名もなき人の個人史を可能な限り伝え残してもらいたい。速水さんが予言したように、パンデミックは繰り返す。そのような報道の記録の中から人類は、コロナの次のパンデミックに打ち勝つためのヒントを、見つけることができるはず。
 飯尾 歴史家が「新型コロナ全史」を書くための材料にもなるわけですね。そういえば速水さん、「あとがき」に、こんなふうに書いていますよね。
 <歴史の出来事を叙述する筆者の願いは、とにかくスペイン・インフルエンザと、それに曝(さら)された人々の悲鳴を聞き、状況を知って欲しい、という一言に尽きる。当時の人々は、そのような事態に直面して、どう対応したのか、政府は何らかの手を打ったのか、そして、なぜ忘れ去られたのか、これらのことをじっくり噛(か)みしめて戴(いただ)きたい>と。
 藤原 「政府は何らかの手を打ったのか」−。そうですね、新しくなった政府にも、もっともっと歴史をひもといていただきたい。
 例えば、内務相や東京市長などを歴任し、関東大震災からの“帝都復興”を成し遂げた後藤新平の言う「衛生」という言葉。もともとは「生命を衛(まも)る」「生活を衛る」という意味なんです。コロナ禍を乗り切るために今政府がやるべきことは、この二文字に尽きるんですよ。

<ふじわら・よしお> 1949年、愛媛県大三島の生まれ。大阪府吹田市で育つ。「新評論」編集長を経て、89年に藤原書店を設立。95年、歴史学に大変革をもたらしたとされるフェルナン・ブローデルの『地中海』(全5巻)で、第31回日本翻訳出版文化賞を受賞した。97年にはフランス政府から芸術文化勲章、2018年にはアカデミー・フランセーズから文学顕揚賞を贈られた。


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