「♪飲み屋のあかりがなくなった 俺の仕事がなくなった」 空き缶の三線でコロナ禍を歌に

2020年9月29日 13時55分

「演歌で日本中の人たちを元気にしたい」と話す岡大介さん=東京・浅草の木馬亭で

「自粛ムード」に「同調圧力」。ああわからない~ウイルス対策わからない~。明治・大正期の「演歌(演説歌)」を現代に再現する歌手の岡大介さん(42)は、空き缶で作ったカンカラ三線で、物言えば唇寒しのコロナ社会に寸鉄くらわす。10月4日、ステイホーム中に作った新作を披露する独演会を東京・浅草で開く。(浅田晃弘)

◆怒りが歌に

 「怒りがあるから、いい歌が生まれる。ぱったり仕事がなくなったことが、創造の原動力になった」
 演芸場に加え、居酒屋や福祉施設など年間400ステージをこなしてきたが、緊急事態宣言下の休業要請で4、5月の仕事は、ほぼキャンセルに。自宅での時間は歌作りに充てた。
 長年、仕事場にしていた居酒屋が閉店した。家賃負担に耐えられなかったと聞いた。緊急事態宣言は東京五輪の延期が決まってからだ。「本当に深刻なら、なぜもっと早く宣言しなかったのか」と腹が立った。
 コロナ来て五輪がなくなった/飲み屋のあかりがなくなった/俺の仕事がなくなった
 丸投げ政府の言うことにゃ/3つの密が大事だと/密議・密約・密会か
 明治生まれの演歌師・添田啞蟬坊あぜんぼうの「生活戦線異状あり」を元歌にした「ウイルス戦線異状あり」ができた。

◆庶民の心に寄り添う演歌に共感

 高校時代、吉田拓郎さんに憧れてギターを手にした。20歳になり、代々木公園周辺で路上ライブを始める。しばらくして、敬愛するフォーク歌手の故高田渡さんが歌う「あきらめ節」が啞蟬坊の歌だと知り、自由民権運動で生まれた演歌の歴史を調べた。庶民の心に寄り添った「反権力」の姿勢に共感した。自分でも歌ってみようと思った。
 路上でアカペラで歌っていた啞蟬坊の歌に、ギター伴奏はしっくりこない。そんな時、ミュージシャン仲間がカンカラ三線を教えてくれた。米軍占領下の沖縄で空き缶とパラシュートの糸で作られた「抵抗の楽器」。これだ、と思った。
 2008年にCDデビュー。11年の東日本大震災では、啞蟬坊の息子知道が作った「復興節」の替え歌を被災地で歌って回り、注目を集めた。
 コロナ禍で、社会は震災以来の厳しさにさらされている。今こそ、庶民の心情を代弁する風刺の出番だと思うが、最近はどうもやりづらい。政治批判の歌が以前のように受けない。
 健康問題を理由に退陣した安倍晋三前首相を笑いのタネにするのは「不謹慎」と思われているようだと気が付いた。それで、こんな言い回しを考えた。「みんな、安倍さんのことが好きなんですね。だから、早く元気になってほしいですね。国会で説明責任を果たしてもらうために」。緊張が緩んだ客席から、どっと笑いが起きた。

◆菅政権でも「安倍政治の歌も継承」

 菅義偉首相の誕生に、意外性は感じなかった。「安倍政権の実体は菅政権」と思っていたからだ。「安倍政治が継承されるのなら、安倍政治の風刺の歌も継承です」。菅内閣の顔触れを見ていたら「オッペケペー節」の替え歌ができた。
7年ついでに8カ月/お疲れさんといいたいが/モリカケサクラはどこへやら/同じ顔触れ甘々党/スッカラ政治の幕開けだ

◆10月4日に独演会

 岡大介独演会「ウイルス戦線異状あり! ヨワッタネ~添田啞蟬坊と馬場文耕~反骨芸能歌合戦」は、浅草木馬亭で10月4日午後6時開演。講談師の神田春陽さんがゲスト出演し、江戸時代の言論弾圧で処刑された講釈師について紹介する。チケットは3000円(前売り2500円)。問い合わせは、浅草木馬亭=電03(3844)6293=へ。

添田啞蟬坊(そえだ・あぜんぼう)1872~1944年。神奈川県大磯町生まれ。18歳の時、横須賀で見た演歌師に感動し街頭で歌い始める。33歳で社会主義者の堺利彦と出会い、日本社会党の活動に参加。歌による社会改良を目指した。昭和恐慌がピークの1930(昭和5)年に発表した「生活戦線異状あり」を最後に、生涯に作ったのは約200曲。演歌師の活動を引き継いだ長男の知道(1902~80年)は文筆家としても活躍し、演歌について多くの著作を残した。啞蟬坊の歌は学園紛争が盛んになった1960年代、フォーク歌手の高田渡さんがカバーしたことで再評価につながった。

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