《東京近郊 気まぐれ電鉄》水神と稲荷と大師様・東武ローカル線の旅

2020年10月15日 10時00分

<今回利用したルート>
《東武亀戸線》
亀戸ー亀戸水神
亀戸ー牛田
《東武スカイツリーライン・東武大師線》
北千住ー大師前 

亀戸から2両編成の私鉄に乗り下町を巡る


  都心の方から総武線に乗って亀戸のホームに降りると、左手の築堤の下に2両編成の電車が停まっていることがある。東武の亀戸線だ。この景色、東京東部のローカル線って感じで気に入っている。

今回もしっかりとマスクをして街を歩きます。

 JRの改札を北口に出て、アトレの通路(スタバや宝くじ売り場が並ぶ)を歩いて行った先に東武亀戸線の乗り場はある。右方の総武線の築堤斜面は草が繁っていて、この辺も場末風情に拍車を駆けている。白地の青帯の曳舟行きの電車に乗ると、線路は間も無く左方に迂曲して、亀戸水神の駅につく。乗ってまもない1つ目の駅だがここで降りてみよう。
 亀戸というと、天神(天満宮)の方は有名だけれど、こちらの水神のことを語る人はあまりいない。天神とうっかりまちがえて降りる人がいるのか、「亀戸天神は次の亀戸駅が最寄り…」と向こうのホームに出ている。

お祭りなどを告知するはずの掲示板ですが今年はさみしい雰囲気です。

 亀戸水神は踏切を跨ぐ旧道風の道を北西の方へ少し行った辻の角にある。鳥居の奥に小さな社殿がぽつんと見える地味な神社だが、鳥居脇に置かれた六角屋根の交番が可愛らしい。僕はこの交番を眺めるたびに、「こち亀の両さん」がなかにいる光景(向こうの亀は亀有だが)…を想像する。
 小ぢんまりした境内の一隅に「水神森」と刻んだ石碑が立っていたが、明治、大正くらいの地図には樹木のマークを記して「水神森」の表示がここに記されているから、いわゆる鎮守の森がもっと豊かに広がっていたのだろう。さらに、かなり離れた亀戸駅南口の京葉道路に都電(旧・城東電車)の停留所をもとにする水神森の地名表示が残っているから、かつてこの水神様は集落一帯の地名にまで定着する、知られた場所だったのかもしれない。
 ところで、水神の駅からここにくる途中、土地にちなんだのか、とあるお宅の玄関先の水槽に大きなカメ(ミドリカメとクサガメか?)を見た。ミドリガメといえば、緑に白帯のリバイバルカラー(昭和30年時代の試験塗装)の亀戸線電車を踏切で見掛けたが、今回は乗れなかった。
 亀戸水神から再び乗車、ひがしあずま、小村井おむらい、と耳に残る名前の小駅を通過して曳舟で東武スカイツリーライン(伊勢崎線)と合流する。いまはスカイツリーラインの方が本線の扱いだが、現在の「とうきょうスカイツリー」駅のあたりを起点に明治30年代から走っていた東武線が隅田川を渡って浅草の松屋に乗り入れる昭和の初め頃までは、亀戸線の方が本線の性格をもっていたという。
 乗り換えた曳舟の先は、かつて玉ノ井といった東向島、カネボウ(鐘淵紡積)発祥の鐘ケ淵、荒川堤際の堀切を過ぎて、次の牛田(うしだ)でまた途中下車。この駅は改札を出ると、すぐ向こうに京成関屋という別称の駅が並んでいるのがおもしろい。
 牛田は僕がわざわざ散歩しに訪れる柳原の商店街の入り口の駅なのだ。東武と京成の間の道をちょっと荒川の方へ進むと、やがて左手に東武の低いガードが見える。高さ1.7メートルの表示の出た、頭をこすりそうなガードをくぐりぬけると、まもなく柳原千草通りという狭い商店街の道が始まる。
 手元の地図を確めてもらうと、柳原の町域は荒川の西岸に張り付くように半円型に広がっている。荒川(放水路)は大正時代、洪水対策で人工的に建設された水路だから、この柳原の円周に当たる筋は東方を流れる綾瀬川の旧流の跡。つまり、昔の中洲のような地帯に形成された独立した町なのだ。

柳原の路地を歩き文化的遺産キデンキを探す


お昼前で忙しそうな松むらのご主人たち。

 その真ん中あたりに柳原稲荷という古い神社があって、すぐそばに「松むら」というウマい稲荷ずしとのり巻を売る店がある。松むらを目当てに歩いていたら、進路をうっかり誤って柳原千草園という公園の方へきてしまった。小工場跡に作られた、草花豊かなこの公園もいいのだが、にわかに暗雲たちこめて、ポツポツと雨が降り出した。小やみになったのを機にスマホ地図を指針に歩き始めたら、再び大降りになってきてゴロゴロと雷も鳴っている。どうしようか…と思った頃、松むらの看板が見えた。斜め向かいに見憶えのある昔ながらの銭湯・大和湯も健在だ。
 「松むら」の玄関先で顔見知りのオヤジさんが雨に打たれながら水槽の水草をいじっていた。
 ――ほら、ホテイ草の花が咲いたんだよ

ホテイアオイにこんなきれいな花が咲くとは驚き。

 小学校の理科の教科書には“ホテイアオイ”と出ていたやつで、金魚屋で買ってきたのを育てていた時期もあったが、こういう淡い紫色の花を見るのは初めてだ。別の水槽には客からもらったというメダカが泳いでいる。
 店内に入ると、おかみさんと娘さん、厨房で稲荷の酢めしやのり巻きのカンピョウを仕込んでいるのが2代目、娘さんの御主人らしい。この店、もう20年近く前の散歩のときに見つけて、以来近くにくると立ち寄って、なかの小卓のイスに腰掛けて稲荷ずしとのり巻きをいただく。いわゆるコロナ騒ぎ以降、テイクアウトだけの営業になっているようだが、雨やどりということで店内にちょっと入れてもらって、折詰を作ってもらうことにした。

松むらのオヤジさんに街のことを色々と聞きました。

 「松むら」というこの店、本店は浅草・清川のアサヒ会通りという渋い商店街にある。昭和30年初めからそこで修業していたオヤジさんが、のれん分けしてここに店を開いたのがオリンピックのあった昭和39年だという。稲荷神社の門前、という場所はたまたまだったらしい。
 ――キデンキ、1本だけ残ってる場所を案内してやろうか?
 雷雨が収まって、寿司の折詰もできあがった頃、オヤジさんがいった。キデンキ――というのは、傘電灯をつけた木の電柱の俗称で、柳原の商店街のトレードマークにもなっている。昔の傘電灯をモチーフにした街灯とそのマスコットキャラクターも作られたが、もとの木製電柱は老朽化して大方撤去されてしまった。

裏道にひっそりと残るキデンキ。

 す、すーっと忍者のごとく狭い路地から民家のスキ間へと入っていくオヤジさんの後を追っかけていくと、袋小路のような一角にぽつんと1本だけ朽ちたキデンキが立っていた。貴重な昭和遺産を目に留めて、表の商店通りに出たところでオヤジさんに礼を述べて別れた。古い店は来るたびに戸を閉めたり、改築されたりしているものの、まだまだ昔の商店街の雰囲気が体感できる町だ。

JR常磐線、東京メトロ千代田線など多数の路線が通る北千住駅。

 そのうち学園東通りという商店街に入って、L字に曲がった正面に北千住の駅が見えてくる。こちら東口の駅前に何年か前から東京電機大学の近代的なキャンパスが置かれているが、キデンキの町の先の電機大というのも、なんとなく因縁を感じる。
 千住の町もじっくり歩く価値のあるところなのだが、今回は再び東武線(スカイツリーライン)に乗って北へ向かう。荒川を渡ると小菅、五反野、梅島、と続くが急行だと1つ目の西新井で降りて、ここから東武屈指の短尺支線・大師線に乗車するつもりだ。
 が、その前に、昼飯用に仕込んだ「松むら」の折詰寿司を食べたい。当初、西新井大師まで持っていってしまおうか…とも思ったのだが、北上するさっきの雨雲に追いついてしまったようで、西新井はザーザー降りの大雨に見舞われている。ちょうど降りたホームの北端に背を向けて6人座れる格好なベンチを見つけて、ここで折詰を開くことにした。

お稲荷さんとかんぴょう巻きで軽くお茶碗3杯分はありそうな量でした。

 なかに差しはさまった小紙に<各位様>として、あのオヤジの筆と思わしき自信たっぷりの口上が記されている。
「当店のいなり寿司、海苔巻は特に良い材料を吟味使って居ります。自慢の出来る風味を何卒御賞味くださいまして益々御愛顧の程お願い申しあげます。 店主」
 稲荷ずしのアブラアゲは濃い口のショウユに浸かり、のり巻のカンピョウはしっかりと程良い歯ごたえがあって、これこそいかにも東京下町らしい味だ。雨見をしながら、閑散としたホームのベンチで折詰の寿司を味わっていたら、どこか遠い地方の町を旅しているような気分になった。

静かな空気が流れる西新井大師


 西新井の大師線の乗り場はちょっと妙なしくみになっている。乗りつぎ口の自動改札機に大師前までのキップを入れると、もうキップは出てこない。ホームに入ってきた亀戸線と同じ白に青帯の2両編成電車に乗ると、4、500メートルの距離にある終点、大師前の駅には改札がない。そのまま階段を下りると、西新井大師(総持寺)の参道に入る。
 乗った電車にほとんど客はいなかったけれど、同じ車両に若い大学生くらいのカップルがいて、僕らの先を大師境内の方へ歩いて行った。コロナ禍、とりあえずお参りをかねて近場でデートしよう、みたいな感じでやってきたのかもしれない。

周囲に高い建物がないので、空とのコントラストが美しい西新井大師。

 川崎大師と並んで、東京近郊を代表する大師様として知られるここ、大師はもちろん弘法大師の空海だ。以前、熊野前から乗った舎人ライナーの車窓からも見えた本堂の大屋根が特徴的だが、迫力のある赤い金剛力士像を飾った山門、池をうじゃうじゃ泳ぐ大きな錦鯉も目にとまる。これは鯉料理の業者が建立したのだろうが、〈鯉塚〉と刻まれた碑もあった。

くずもちも草餅も甘さ控えめでした。

 さて、この西新井大師で目当てにしてきたのは、環七の方へ続く参道に何軒か看板を出した“草だんご”の店。柴又と並んで、ここも草だんごを参拝名物にしている。おそらく、ひと昔前は荒川河川敷あたりに生えるヨモギを使って作っていたのだろう。卓について食べられる食堂型の店(武蔵屋)に入って、西新井ホームの折詰寿司からさほど時間は経っていないが、オヤツに草だんごとくずもちをいただいた。ウーロン茶を頼むと、この店は小型のガラスビン入りのやつで、ふと法事の席を思い出した。

PROFILE


◇泉麻人(コラムニスト)
1956年東京生まれ。慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストとして活動。東京に関する著作を多く著わす。近著に『夏の迷い子』(中央公論新社)、『大東京23区散歩』(講談社)、『東京 いつもの喫茶店』(平凡社)、『1964 前の東京オリンピックのころを回想してみた。』(三賢社)、『冗談音楽の怪人・三木鶏郎』(新潮新書)、『東京いつもの喫茶店』(平凡社)、『大東京のらりくらりバス遊覧』(東京新聞)などがある。



◇なかむらるみ(イラストレーター)
1980年東京都新宿区生まれ。武蔵野美術大学デザイン情報学科卒。著書に『おじさん図鑑』(小学館)、『おじさん追跡日記』(文藝春秋)がある。
https://tsumamu.tumblr.com/

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