類(るい) 朝井まかて著

2020年10月4日 07時00分

◆不器用な「鴎外の息子」
[評]重里徹也(聖徳大教授・文芸評論家)

 長編小説の一番の楽しみは、そこに流れている時間を味わうことではないだろうか。その意味で、この約五百ページの大部な小説はしみじみと面白かった。読んでいる間、主人公とともに季節の移ろいを感じ、人間模様を眺めては喜怒哀楽に感情を動かされ、人生のさまざまなことに思いをはせることができた。
 文豪、森鴎外には三男二女の五人の子供がいた。生後半年で亡くなった次男を除いて、四人ともが父親の思い出を記している。この小説の主人公は末子の類。医師や文筆家として知られた兄姉たちではなく、地味な末っ子に光をあてたのが小説の勘所だ。
 物語は森鴎外の死から書き起こされ、類の少年時代が描かれていく。勉強がどうにもこうにもできない。周囲は学校教育で芳しくない成績を続ける息子を偉大だった父親と比較する。有名な画家に師事した絵でも、芽は出ない。才気に満ちた兄や姉とは対照的に、うだつが上がらない。苦い恋愛も経験する。
 このあたりから、読者は徐々にこのさえない主人公に感情移入してしまう。不器用で生活力が乏しく、でも、純粋で正直な男に肩入れしたくなってくるのだ。彼のコンプレックスやお人よしな態度に自分を重ねてしまうのだ。
 そんな類がのびのびとした心を取り戻すのは、姉とともに過ごしたパリの日々だ。芸術の都での自由な生活が、「森鴎外の息子」の呪縛で縮こまっていた主人公を解放する。こちらも、この時間が続いてほしいと祈るような思いになってくる。
 帰国後の結婚、戦争での苦労、戦後の混乱、姉たちとのあつれき、小説執筆、出版社とのやりとりなど、恵まれた出自ゆえの起伏の多い人生が続く。佐藤春夫や志賀直哉など、主人公に温かい作家たちの肉声が聞けるのも楽しい。
 短いセンテンス(文)を連ねる作者の筆は、落ち着いていて快い。私たちはどんどん先を読みたくなる気持ちと、立ち止まって書かれていることを考えたくなる思いのせめぎ合いという贅沢(ぜいたく)な楽しみを体験することになる。
(集英社・2090円)
1959年生まれ。作家。『恋歌』で直木賞などを受賞。著書『すかたん』など多数。

◆もう1冊 

朝井まかて著『阿蘭陀(おらんだ)西鶴』(講談社文庫)。井原西鶴を盲目の娘から描く。 

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