にぎやかな楽園 メッセが草原だったころ

2020年10月4日 07時21分

国内最大級のコンベンション施設「幕張メッセ」。来年の東京五輪・パラリンピックでは競技会場になる=千葉市美浜区で

 幕張メッセを一度でも眺めた方はちょっと頭におもい浮かべていただきたい。あの広大な立体都市全体が短い時間だけれど緑の草におおわれていた時代があったのです。
 埋め立てされる前、旧来のかつての海は国道14号線のすぐそばまで迫っていた。台風のときなどあの「波静かなる袖ケ浦」も激しく波うち騒ぎ、国道まで大波が打ち寄せることもあった。
 いまのような高層ビルの林立する前にはぼくたちは「幕張草原」と呼んでいた。草原にはいろんな虫や野鳥もいてにぎやかな野性があった。
 草原に寝ころがっているとヒバリがチキチキ鳴きながら垂直に降りてきて、また垂直にとびあがっていくのがカッコよかった。
 町の背後に広がる田園とその周辺につらなる広大な湿地や水域にはシラサギがしょっちゅうきていたが、ときどきびっくりするほど大きな白い鳥がやってくるのでぼくたちは「白鳥だ!」と大騒ぎをしたが、その頃よく来ていた空気銃によるスズメ撃ちが「あれは白鳥ではなくオオミズナギドリというのだよ。海の鳥だよ」とおしえてくれた。そういえば埋め立て前の海岸でもときどき見ていた。
 ぼくたちの前に突然広がった海の草原に、そのオオミズナギドリが三羽とか四羽数を増やしてやってきた。一羽のときは静かなのだけれど三、四羽になるとびっくりするくらい大きな声で鳴き、一羽鳴くとみんなで競うように鳴いて、まるで競って世間話をしているようだった。
 「鳥もああして集まるとおばさんみたいになるんだなあ」
 ぼくは昼寝を邪魔されたけれど感心してその騒ぎをそんなふうに聞いていた。
 この広大な草原に行くと隣町の検見川少年団との喧嘩(けんか)がまたときおりおきた。花見川を挟んでの石なげが遺恨になって草原のタタカイは加熱していった。
 でも草原には手頃な小石がなく、かといって双方何の理由もなく接近していって殴り合いをするほどの憎しみも攻撃力もなかったから、たがいに睨(にら)みあいながらやがて距離をあけていった。草原はそれだけ広大かつ寛容だったのだ。
 ときどき夕方頃にアベック(まだカップルなどというコトバがなかった)がやってくるとぼくたちは草むらに身を伏せ、平蜘蛛(ひらぐも)と化し、ドキドキしながらアベックのシアワセで不用心な二人を草の陰から眺め、いろいろ学習していた。それは隣町の少年団と喧嘩するよりもよほど重要なことだった。
 大規模な埋め立て工事によるものなのか、草原の先端あたりにいっても陸地からの距離や海水の深さから当然とれる筈(はず)のハマグリもマテガイもアカガイもトリガイもほとんどとれなくなっていた。
 しかたがないのでぼくたちは検見川少年団と遭遇するのも覚悟して、両方の境界線になっている花見川へ釣りに行った。葦(あし)がいっぱい茂っていてヨシキリがチャッキチャッキいたるところで騒いでいた。
 河口の砂を掘るとたちまちカンヅメのカラいっぱいぐらいにイソメ、ジャリメなどの魚がよく釣れる餌がとれ、それでハゼやボラなどをとりまくった。(作家)

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