東西ドイツ統一から30年…いまだ残る経済格差の壁 27歳首長「人々はまだ同じ不安を抱えている」

2020年10月6日 09時47分
 1990年10月の東西ドイツ統一から30年をへても、いまだに解消されない東西の経済格差。冷戦終結後に生まれ、分断の時代を知らない世代は、こうした統一の現状をどう受け止めているのか。旧東独だったブランデンブルク州南部の市や町に相当する小規模自治体、ルーラントの首長を務めるトーマス・フーンチさん(27)に聞いた。(ルーラントで、近藤晶、写真も)

東西ドイツの統一について話すブランデンブルク州ルーラントの首長、トーマス・フーンチさん

 「分断されていた国民が一つの国になり、自由に意見を言い、自由に旅行もできるようになった。(東独の)人々は真の自由を取り戻すことができ、デモで声を上げた価値があったと思う」。民主化を求める民衆のうねりはベルリンの壁を突き崩し、翌年に東西統一が実現した。
 フーンチさんが生まれたのは統一の2年半後。社会主義体制下にあった東独時代は、親の話や学校の授業でしか知らない。東独出身の教師は自らの体験を交え、その歴史を教えてくれたが、「すべてが国の統制下にあった世の中は想像しづらかった」と振り返る。
 ルーラント議会議員を5年務め、昨年5月の地方選挙で首長に立候補。26票という僅差で現職を破った。州内自治体の現職トップでは最年少だ。メルケル政権を支える連立与党の一角、中道左派の社会民主党(SPD)に所属する。ドイツの小規模自治体では首長や議員は名誉職が多く、ルーラントなどを管轄するオーバーシュプレーバルト・ラウジッツ郡庁の職員でもある。
 州南東部のラウジッツ地方は褐炭の一大産地として、東独時代からエネルギー供給を支えてきた。だが、メルケル政権が脱石炭を決め、地域産業の先行きは暗い。旧東独では統一後、国営企業が民営化されたが、生産性の低い企業は倒産に追い込まれ、多くの人々が仕事を失った。フーンチさんは「30年たってもまだ、人々は同じ不安を抱えている」と話す。
 失業率は今でも旧東独地域の方が高く、平均賃金は旧西独より15%安い。1人当たりの域内総生産も旧東独はドイツ全体の約8割にとどまる。東西の格差が縮まってきたとはいえ、完全に無くなってはいない。世論調査では、旧東独地域の人々の約6割が「二級市民」のように扱われていると感じると答えている。

1910年建築のルーラントの学校校舎。転入者を増やすためインフラ整備が課題という

 フーンチさんは「個人的には『東ドイツ人』という感覚はないし、『二級市民』とも感じない」と話すが、「ただ実際さまざまな格差がある。いまだに年金が統一されていないことは考えられない。旧東独世代が生きている間に解決しなければならない問題。格差をなくすことは政治の役割だ」と強調する。
 ルーラントの人口は約3700。高齢化率は28・1%とドイツ全体(21・7%)に比べ高い。転入者を増やすため、住宅用地の確保や学校、幼稚園などの整備を進めたいと考えているが、連邦や州からの予算が少なく、大規模事業が難しいことが課題という。
 「改革のプロセスに関われる仕事には、やりがいを感じる」と話す27歳の首長は州政、国政への進出を見据えている。「(東西で)同一の年金も同一の賃金も法制化しなければ実現できない。提案し実行に移すのが政治の仕事。州議会であれ何であれ、まだ若いのでチャンスはある」

 ◇東西ドイツ統一 1989年11月にベルリンの壁が崩壊し、翌月に冷戦が終結。90年3月に東独初の自由選挙が実施され、早期統一を主張する保守連合が勝利し、統一への動きが進んだ。西独の基本法(憲法)に基づき、東独を西独に編入する形による国家統合が決定。新憲法が制定されることはなく、法制度は一部を除き西独の法律が導入された。安全保障の同盟関係でも、統一ドイツは北大西洋条約機構(NATO)に帰属が決まった。

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