君はスーパーカーブームを知っているか 消えない夢 スーパーカー消しゴム復活

2020年10月7日 07時00分

ランボルギーニのスーパーカー消しゴム。手前左から時計回りにカウンタックLP400S、ミウラ、イオタ、ウラッコ、アニバーサリー

 1970年代後半、空前のスーパーカーブームがあった。あの頃、小学生の必須アイテムだったのが「スーパーカー消しゴム」だ。教室の机をコースにしてボールペンではじいて走らせる。そんな遊びに熱中したスーパーカー世代が、消えない思い出を形にした。

コレクションに囲まれ、「ものづくりへの夢、憧れがスーパーカーには 詰まっている」と話す赤間保さん=江東区で

 「ペンはしっかり机の上に固定してください。消しゴムにはぴったりくっつけて」。教えられた通りにすると、実物の百分の一サイズのランボルギーニ・カウンタックが、机の上を風のように駆け抜けた。
 神保町の書泉グランデ、東急ハンズ渋谷店などで夏から販売する「復刻 スーパーカー消しゴム」は、イタリアのランボルギーニ社から正式にライセンス使用の許可を受けた「超精密」をセールスポイントにする。

ランボルギーニ・カウンタック 25thアニバーサリー(GGF-T提供)

 一九七〇〜八〇年代に製造された「ビンテージ」と呼ばれる中古スーパーカーのコレクター、赤間保さん(54)が手掛けた消しゴムは五車種がある。カウンタックはLP400S、25thアニバーサリーの二車種。ほかにイオタ、ミウラ、ウラッコ。ミウラとレース用の改造車で事故で炎上したイオタを除けば、モデルはすべて、自らの所有車だ。

ランボルギーニ・カウンタックLP400S(GGF−T提供)

 十一台のコレクションの始まりは、二〇一二年に購入したカウンタックアニバーサリーにさかのぼる。
 起業したIT会社の経営が軌道に乗り、オートマチックのフェラーリを新車で買った。思ったほどわくわくしなかった。手触り、におい、音。一九八八年製造のビンテージカウンタックは、すべての味わいが違った。小学生の頃、夢中で写真を撮ったスーパーカーショーの興奮がよみがえった。憧れの名車を次々と手に入れた。
 東京の街で愛車を走らせていても、若者の視線はほとんど感じないが、小さな子どもたちは大喜びしてくれる。ベビーカーから指をさし「格好いい」と叫ぶ幼児にも遭遇した。車離れが言われる時代、子どもたちの純粋な興味に背中を押された。一六年、「スーパーカーブームを次世代につなぐ」ためのイベント企画会社「GGF−T」を設立した。

ランボルギーニ創業家が運営する博物館で展示した、アルミで作ったイオタのオブジェ=昨年9月(GGF−T提供)

 幼児がスーパーカーを見て喜ぶのは、絵本のなかの動物のように見えているのかもしれないと思った。消しゴム復刻のプロジェクトと並行して、絵本づくりを進めた。ランボルギーニ・イオタを、アヒルのキャラクターにした「アヒルのジェイ」だ。ものづくりの楽しさをアピールしようと、アルミの板金で現存しないイオタのオブジェを作るアイデアも生まれた。
 プロジェクトを通じて、ランボルギーニ社との交流が深まった。昨年春は、ランボルギーニ本社があるサンタアガタ市で、現地関係者と協力してイオタの生誕五十周年祭を開催。消しゴム、絵本、イオタオブジェを披露した。秋は、トリノの自動車博物館でも同様の披露会を開いた。

イタリアにスーパーカー消しゴムを紹介。昨年11月にトリノで開いた体 験会(GGF−T提供)

 プロジェクトに協力するモータージャーナリスト越湖信一さん(59)によると、スーパーカーブームは日本特有の現象だという。イオタの存在は、イタリアでは自動車関係者の間でもほとんど知られていなかった。新型コロナの影響で中止になったが、イベントはイタリア各地から開催のオファーを受けた。越湖さんは力を込める。「新しいスーパーカーブームを起こし、世界市場を目指したい」。昭和の子ども文化の逆輸出が始まりそうだ。

★夢中になった時代

1970年代、スーパーカーショーには子どもたちが詰めかけた。写真はランボルギーニ・ミウラ

 ランボルギーニに代表される高馬力、高価格の少量生産のスポーツカーに子どもたちが夢中になった。火付け役は、1975年に週刊少年ジャンプで連載がスタートした池沢さとし=現・早人師=さんの「サーキットの狼(おおかみ)」とされる。主人公の風吹裕矢がロータス・ヨーロッパに乗り、公道などでライバルとのレースに挑む物語だ。
 清涼飲料水の王冠、ヨーヨー、メンコなど、続々と登場したスーパーカーグッズの中でも、消しゴムは特別な人気を誇った。「ノック式ボールペン」ではじき、机の上に書いたコースを競走したり、ぶつけあって相手を机から落としたりして遊んだ。四角形で側面を机に押しつけやすい「BOXY(ボクシー)」ブランドのペンが定番だった。
 ピークは77年。晴海や後楽園など各地の展示場やスタジアムでスーパーカーショーが開かれたが、78年ごろから、子どもたちの関心はブルートレインに移り、ブームは終息に向かっていった。
 文・浅田晃弘/写真・由木直子
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