荒木経惟(のぶよし)、写真に生きる。 荒木経惟著

2020年10月11日 07時00分

◆アラーキー、自らを語る
[評]町田康(作家、ミュージシャン)

 仕事机のすぐ脇の書棚には、いま手がけている仕事に必要な本や資料が並べてあって、手を伸ばしてすぐに閲覧できるようにしてある。なんとなれば立って資料など探し、立ち歩いているうちに、それまでの感興が失われたりひどいときは、書いている内容を忘れたりするからである。
 前の仕事場ではその位置に荒木経惟の写真集があって、資料などを探すうち、ふと手に取って見入ってしまい、気がつくと何時間も経(た)っている、なんてことがよくあった。
 なぜかというと荒木氏の写真には人間が生きること、生きて死ぬことの不思議や理窟(りくつ)を超えてどうしても目が離せなくなる生命の根底を刺激する、煩悩を震わせる磁力のようなものがあるからであるが、この、『荒木経惟、写真に生きる。』は、その荒木経惟が、どうやって写真家としての自分を作り上げてきたか、を荒木氏自身の語りで語った本である。というのは同時に、どのような環境が、どのような人との出会いが、どのような時代が、荒木経惟、を作ったか、についての荒木自身の証言である。
 ここで思うのは、喋(しゃべ)ったことを文章にする場合、それがいかに喋っている感じになっていたとしても、そこには必ず書き手によるなんらかの修正や修飾があり、なぜそれが必要になってくるかというと、ただただ人と雑談するときと、それが記録されるときの人の話し方がえらく違うからでだが、ここでの語り口は荒木氏の普段の語り口調ほぼそのままであるということである。
 なんてなのはどうでもいいことかもしれないが、あっ。と思ってしまったのは、写真と謂(い)って真を写さず、虚を含みながら空虚にならず、実と真がありながら写実に堕さぬ荒木氏の写真の本然がこうしたところにも現れているのではないか、と思ったからである。荒木氏に限らず私たちは実はみな、写真に生き、写真を生きているのではないだろうか。
 そういえば仕事をせず何時間も見入った後、行き詰まっていた虚構に思いもよらなかった突破口が見つかったことが何度かあった。思い出して書棚の本を若干移動した。
(青幻舎・3850円)
 1940年生まれ。写真家。90年代以降、世界各地で展覧会を開催。写真集多数。

◆もう1冊

 荒木経惟著『天才アラーキー 写真ノ方法』(集英社新書)

関連キーワード

PR情報

本の最新ニュース

記事一覧