現実の矛盾 見極める フランス文学作家論を発表 中条省平(ちゅうじょう・しょうへい)さん(学習院大教授)

2020年10月10日 13時41分
 漫画研究者、ジャズ評論家などさまざまな顔を持つ中条省平さん(65)が、本業の仏文学研究者としてありったけの力を込め、『人間とは何か 偏愛的フランス文学作家論』(講談社)を書いた。十八世紀末から二十世紀半ばに活躍した仏文学者三十一人を好みで選び、論じた。これほど多数を取り上げた作家論は初めてという。「ここまでまとまった本を書くことは一生ない。この際だから入れられるものは全部入れました」と達成感をにじませた。
 学習院大学(東京都豊島区)の研究室にお邪魔すると、天井まで届く本棚の一角はモダンジャズのCDで占められていて、近くにジャズ専門雑誌が並んでいる。手塚治虫の作品やSF漫画「AKIRA」などサブカルチャー関連、映画関係の書籍もそろっている。蔵書のうちフランス文学関係は半数もないという。
 『人間とは何か-』には、長年の研究成果はもちろん、作品を初めて読んだ時の思い出もたどりながら、その作家について思い付くものはすべて詰め込んだ。その結果、約六百ページのボリュームになった。
 仏文学に目覚めたのは中学一年の一九六七年。作家スタンダールが最初の文学的アイドルだった。父の本棚の文学全集から一巻を取り出し、「赤と黒」を読んだのが始まりだ。そのころはアメリカで愛と平和を訴えるフラワームーブメントに共感が広がり、六八年にはフランスで学生らが政権を糾弾する五月革命が起きた。「新しいものを目指して既成の制度や縛りに反逆する気分がまん延していた」。サド、ランボーら型破りな作家や詩人は特に中条少年の心に染みた。
 六〇年代後半は学生反乱の時代だった。その時期に人格を形成した「一九六八年世代」を自認する中条さんの人選だけに、本書の作家たちは必ずと言っていいほど何かと戦っている。サドは神を敵に回して秩序の転覆を企み、スタンダールは社会の息苦しさに絶えられず「体制打倒のために武器を取れ」とのメッセージを発した。ランボーは自分の中の固定観念をぶち壊して「私は他者だ」と言い放った。
 心に浮かぶさまざまな感情を限界まで突き詰めた作家たち。思い通りにならない境遇の中で矛盾を抱えながらも、逃げたりあきらめたりせず、そこに踏みとどまって憎しみや愛、悲しさをとことん追求した。
 「人間がどれほど不可思議なことをやらかし、考えたのかを言葉にしてきた。仏文学には、人間の思いがけない可能性から、とんでもない逸脱や失敗までが全部入っている」。タイトルにある「人間とは何か」を知るヒントが隠されている。
 「不条理」と相対したのが作家カミュだ。ちょうど『ペスト』を光文社古典新訳文庫から出版するため新訳に取り組んでいるさなか、新型コロナウイルスの感染拡大が起きた。
 この小説はアルジェリアの港町で疫病が流行し、封鎖された町で死者が続出する中、主人公の医師「リウー」と仲間たちが力を合わせて危機に立ち向かい、乗り越える物語だ。中条さんは、都市封鎖や外出自粛による経済の停滞、当局の不手際、医師らエッセンシャルワーカーの奮闘といったコロナ禍の現実を体験しながら、それらをそっくり書き記したような長編に挑んでいる。
 「家にいろ、人と会うな、と勝手なことを押し付けてくる。非合理的で筋道が立たない。残酷です」とため息をついた。カミュがペストに仮託して描いた不条理が現実のものになった。小説では、登場人物が迫り来るペストに恐れおののき、怒り、悲嘆に暮れつつ、不条理の正体を見極めようと意識を研ぎ澄ます姿が印象的だ。
 「『見極める』ということは、仏文学の精神性を示す重要なキーワードの一つ。見極めた結果、惹起(じゃっき)されるのが救いか絶望かは分からないが、現実に目をつぶってはだめです」
 十月はじめなのにキャンパスに学生の姿はなくひっそりと静まっている。リモートでの講義が続いており、不条理な現実はまだ続いている。「絶望から逃げない」という中条さんの言葉は切実に響いた。 (栗原淳)

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