日本ラーメンの草分け、浅草・来々軒の「らうめん」復元 新横浜ラーメン博物館で14日から販売

2020年10月13日 12時00分

再現された来々軒の「らうめん」。店員の衣装も明治の雰囲気を再現している=横浜市港北区で

 日本のラーメン店の草分けで、東京・浅草にあった「来々らいらい軒」。明治時代の1910年に創業し、国内初のラーメンブームを起こしたとされる伝統の「らうめん」がよみがえった。新横浜ラーメン博物館(横浜市港北区)が、元店主の証言や文献を基に、110年前の開業当時の味を再現。14日から館内で提供する。(米田怜央)

◆明治時代の幻の小麦探しから

 来々軒は横浜税関の職員だった尾崎貫一かんいち氏が、南京町(現・横浜中華街)の料理人を連れて創業した。

1914年ごろの来々軒(新横浜ラーメン博物館提供)

 当時、中国伝来の汁そばは「南京そば」と呼ばれた。日本人には脂っこく、敬遠され気味だったが、淡泊なしょうゆ味に改良。「らうめん」として売り出し、一躍人気を集めた。東京ラーメンの定型として広まったが、店は後継者が見つからず、76年にのれんを下ろした。
 博物館は94年の開館前から、3代目で最後の店主の故・尾崎一郎氏にインタビューするなど来々軒を継続的に調べ、開館後は館内に功績を展示してきた。昨年秋からさらに調査を進め、復元を決めた。
 苦戦したのは、肝となる麺の解明。一郎氏の証言から2種類の小麦粉が推測されたが、もはや流通していない。生産地だった可能性がある群馬県の農家や国立国会図書館に通い、遺伝子情報も調べ、かつて使われた品種の流れをくむ小麦にたどり着いた。国産鶏をダシにするスープや、現在主流の煮豚でなく、焼き豚を使った具材も地道に調べた。

来々軒を創業した尾崎貫一氏の孫である高橋邦夫さん(左)と、その孫の雄作さん=横浜市港北区で

 貫一氏の孫である高橋邦夫さん(86)=東京都江戸川区、その孫の雄作さん(33)=港区=は、博物館からこうした経緯を聞き、再現を快諾。幼いころに来々軒でラーメンを食べた邦夫さんは「もう一度食べたいと思っていた」と顔をほころばせる。先祖の功績に詳しくなかったという雄作さんも「祖父が元気なうちに復活させられたら」と、博物館に協力した。

◆シンプルしょうゆ味「タイムスリップ気分味わって」

 しょうゆラーメンの人気店「支那そばや」(横浜市戸塚区)の助力も得て、看板メニュー「らうめん」が完成した。チャーシュー、メンマ、刻みネギがのるシンプルな味わい。博物館内に造られた明治風の外観の店舗で楽しめる。
 1日100食に限り、麺を青竹で打つ昭和初期までの製法で調理し、1100円(税込み)で販売する。機械打ちは930円(同)。
 雄作さんは「タイムスリップしたような気持ちになれる」と話す。同館では3年間限定の販売予定。「いつか浅草の地にも復活させたい」と、意欲のある人と連携した夢を思い描く。

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