<ふくしまの10年・信金の心意気「金は銀より上」>(3)生き残りをかけて
2020年10月15日 07時44分
あぶくま信用金庫(本店・福島県南相馬市原町区)は以前、原町信用金庫という名前だった。営業エリアの許可を仙台市まで拡大した際、改称した。もっとも二〇一一年の東日本大震災までは、宮城の店舗は福島県境の山元町の支店だけだった。仙台から遠い同町には震災後マスコミなどが訪れることも少なく「忘れられた被災地」と呼ばれた。
一三年三月、歌手の嘉門達夫さんらが参加して「みんなの祭り・無礼講」を開いた。雨模様の天気だったが、会場の山下中学校には約五百人の町民が集まった。裏方を、あぶくま信金と城南信金(東京)の職員が務めた。
あぶくま信金は全国の信金から贈られた見舞金を使って、一二年三月に山元町の北にある亘理町に亘理支店を開設し、山元支店を閉じた。太田福裕理事長(69)は「浜通りには人がいない。宮城県に生き残りをかけた」と語る。
意外にもよそ者扱いされなかった。「あぶくま」の名前が良かったという。阿武隈川は福島県内を縦断し、宮城県岩沼市と亘理町の境で太平洋にそそいでいる。
宮城県は復旧、復興が始まっていた。亘理支店は稼ぎ頭になった。あぶくま信金は先輩の遺産と全国の信金仲間の助けで立ち直った。いや、震災前よりも良くなった。
預金残高は震災前の千二百三十八億円から一九年度は二千八百七十八億円に、貸出金は六百一億円から九百八億円に増えた。家庭の事情などで退職する職員も多かったが、人手不足をIT化で埋めた。
その利益を今、地域のために役立てようとしている。
まずは交流人口の増加と風評の払拭(ふっしょく)が目標だ。被災エリアの現状を紹介するガイドブック「福相双(ふくそうそう)」を今年二月に作り、全国に発送した。
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