<首都残景>(17)水の十字路 生活のにおい満ちて

2020年10月18日 07時09分

川も人も交差する、小名木川クローバー橋=いずれも江東区で

 まだ江戸と呼ばれた頃、東京は縦横に水路が張り巡らされた水の都だった。人々は水辺と共に生きていた。そんな昔話を実感したい向きは江東区を東西に貫く小名木川に足を運んでみるのがいいのでは。
 小名木川と横十間(よこじっけん)川が交差するところに、小名木川クローバー橋という少し変わった形の橋が架かっている。上から見ると×マーク形。まあ、四つ葉のクローバー形といえなくもない。水の交差点の上に、道の交差点を重ねたようなのが面白い。

小名木川クローバー橋(後方)のそばでハゼ釣りを楽しむ親子

 橋の周りには、いつでも生活のにおいが満ちている。
 チリンチリンとベルを鳴らし、自転車で買い物に行く女性。
 欄干にもたれ、おにぎりをほおばる男性も。見下ろす水面には、部活の高校生がこぐレガッタが滑っていく。橋の下の遊歩道は、ハゼなどの小魚を狙う釣り人がいつも鈴なりだ。

小名木川を使い塩を江戸に運んでいたことに由来し、川沿いの歩道は「しおのみち」と名付けられている

 隣接する横十間川親水公園の水上アスレチックからは、子どもたちの歓声や泣き声がひっきりなしに聞こえてくる。きっと江戸の昔の水辺も、こんなふうににぎやかだったに違いない。
 橋は一九九四年に完成。それまで対岸に渡るのに五百メートルも遠回りを強いられていたのが、すっかり便利になり、自然に人が集まり始めたのだという。
 小名木川は徳川家康が江戸に入った一五九〇年ごろに掘削が始まった運河で、江戸城周辺と江戸湾を結ぶ物流の大動脈だった。塩を運んだ「塩の道」であり、年貢米や酒などを満載した小舟が行き交った。岸辺には諸藩の蔵屋敷が並んでいた。
 当時、旧中川との合流点には、川の関所である船番所が置かれ、「入り鉄砲出女」を厳しく取り締まった。明治の時代になると、川辺には国内初の製糖工場、機械製粉場などが建設され、日本の近代化を担う工業地帯となった。最近は、そうした工場の跡地が、整然としたマンション群に生まれ変わっている。
 船番所の跡地に中川船番所資料館があり、ジオラマなどで川の歴史を楽しく学べる。
 「コロナ自粛のせいでしょうか、水辺でジョギングしたり、散歩したり、釣りをしたりといった人が増えました」と同館スタッフの小張洋子さん。これも川面に映る時代の色といえそうだ。中川船番所資料館は電03(3636)9091。
 文・坂本充孝/写真・川上智世
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