<ブルボン小林 月刊マンガホニャララ> (18)誇張駆使し「悲しみ」取り出す

2020年10月19日 07時17分
 座間の九遺体の事件の公判が気になってしまう。どうしても、目が離せない。
 事件発覚当時もあるコラムに書いたのだが、最初にこのことが報道されたとき、テレビのニュースキャスターがトチって、原稿を読み直した。チャンネルを替えたらそのキャスターも原稿を二度見した。そのことを僕はずっと忘れずにいる。「部屋から九人の頭部が発見されて」という報道のテキストを、たとえ原稿にそう記載されていても(報道のプロでさえ)スムーズには読めなかった。
 それだけ現実離れした事件で僕も「漫画みたいだ」と思ったが、それは残虐さを指してのことではない。無尽蔵の「体力」を感じさせる点がだ。
 人体をバラバラに切断する行為がどれだけ体力・気力を奪うか、想像に難くない。倫理観がなくても、大量の液体や強烈な臭いの生じるだろう中、頓着もなくルーティンで解体を続けた犯人の「疲弊しなさ」に戦慄(せんりつ)する。ずっと疲れない、虚構の人物でないとそんなの無理じゃないか。
 漫画は誇張する表現だが、絵でみて分かることだけを誇張するわけではない。損なわれない元気さの持続というものが漫画の人物には保証されていて、格闘でボロボロになっても翌週には必殺技を繰り出したり、受けた傷もなんだか癒えてる。
 だからしばしば漫画のキャラからは「元気をもらえた」りもするのだが、現実に無尽蔵の体力を行使する人をみると面妖な、としか思えず、怖い。

TONO『アデライトの花』 *『Nemuki+(ネムキプラス)』(朝日新聞出版)で連載中。既刊3巻。

 TONO作『アデライトの花』は、漫画でできる誇張をさまざまに駆使して、むしろ人が頑丈ではないということを徹底してみせてくれる。
 謎の流行(はや)り病で名家が没落していく様を描く群像劇だ。登場人物たちの多くがかわいい動物の造形で描かれるのがまず、漫画ならではだ。お父さんは鷹(たか)でお母さんは美女。召し使いたちはタヌキや犬。主人公の一人の少年に「そうみえる」という理由でだ。主要な役=美男美女、モブ=動物と区別して筋を追いやすくしているのかと思ったが、案外重要な人物も動物の姿で出てくる。美醜を含めたその世界での人物評価と、造形は関わっているようでもある。
 また、謎の病は体から花が咲くというもので、これまた漫画らしいビジュアルになる。
 花も動物もかわいらしいもので、それにしては冒頭からギスギスしたやり取りが多く、最初は戸惑う。姑(しゅうとめ)(鳥)は、息子の二番目の妻こそ本来の結婚相手だったのだと実の孫に向かってボヤくし、醜い下女に対して屋敷中の人間が辛辣(しんらつ)な態度だ。下女も下女で盗み食いを繰り返し、大勢を見下している。

犬(にみえる母親)がとりなしても、ギスギスしたやり取りが続く=TONO『アデライトの花』3巻から

 父親は感染症の蔓延(まんえん)を防ぐために二番目の妻とともに自決。下女は憧れの男性と無理やりセックスさせられ、身ごもらされた過去が明かされる。最新刊では、ある男の愛人が死産した赤ん坊を、その妻のお茶会のテーブルに転がして啖呵(たんか)を切る。動物の造形ゆえ楽に読み飛ばせるが、よく考えると逸話のすべてが相当エグい。ここでの漫画的誇張はエグさをごまかすためというよりは、出来事の鮮烈さを漫画の手法で捨象し、全員が当然抱え込む悲しみだけを結晶のように取り出すために為(な)されている。
 こちらも目が離せないが、人が傷つくべきときに傷つき悲しむということがここには描かれていて、大いにほっとする。
 (ぶるぼん・こばやし=コラムニスト)

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