21世紀の生存権

2020年10月19日 07時21分
 生活保護費が憲法二五条で規定されている「生存権」を保障する金額に足りているか。それが争われた「朝日訴訟」の一審判決(一九六〇年十月十九日)から、きょうで六十年。貧困と格差、そしてコロナ禍で広がる生活への不安。今、あらためて生存権を問う。

<生存権と朝日訴訟> 憲法25条は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とし、生存権を保障している。朝日訴訟は、結核患者で生活保護を受けていた朝日茂さん(故人)が1957年に提訴。当時の日用品費(月額600円)は、生存権を保障しておらず違法と主張した。一審東京地裁では原告が勝訴したが、二審で逆転敗訴。最高裁で係争中に原告が死亡し裁判は終了した。

◆支援続け選択肢増を NPO法人もやい理事長・大西連さん

 社会福祉制度の議論は、どうしても当事者がいない中で語られがちです。公的な仕組みで生存権を守っていくための機能に関し、当事者自らが声を上げ、異議申し立てをした朝日訴訟の意義は大きいと思います。声を上げることで少しでも良く変わっていく可能性があると示していくことは重要で、今後も続けていかなければなりません。
 新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、収入減や失業をした人が増えています。東京都庁前で実施している食料配布・相談会への来訪者は昨年比二・五倍ほど。生活保護はそんなに増えていませんが、家賃補助や生活資金の特例貸付制度などを使って何とか頑張っている人が多いのです。
 リーマン・ショック以降、日本でも貧困問題が注目されるようになり、生活保護の手前の第二のセーフティーネットが整備されつつありますが、それが今、フル稼働している状況。生活保護の基準が引き下げられる中、コロナ禍では、この第二のネットでどの程度支えられるのかが試されていると言えます。
 ただ、貸付金は返す必要があり、生存権の保障ではありません。経済が回復するまでという短期では有効ですが、長い目で考えると借金を返せなくなるリスクがあります。それでも、借りる理由は、生活保護への忌避感。なるべく使わない方がいいとの社会的な風潮や政治的なコンセンサスが背景にあります。
 そう考えると、生存権がきちんと保障され、権利として享受されている状況ではないと思います。貧困状態になることが自己責任だと社会が思わせてしまう現状を変えないと、誰もが生活に困る可能性があります。
 ここ数年の相談者の特徴は特徴がないこと。特定の階層や職種などでとらえにくく、それだけ多くの人に貧困が広がっていると分かります。さらに、新型コロナは全産業的にダメージを与えています。生き方が多様になった社会だからこそ、最後のとりでとなる生活保護の重要性や、それぞれの困難さに応じた支援施策の必要性が高まっています。
 コロナが収束しても、支援の選択肢を増やしたり、その網をより厚くしていくことが欠かせません。真摯(しんし)に当事者の声を聞き、「生存権」を確立していくことは、先の見えないこれからの時代に、より強く求められています。 (聞き手・清水祐樹)

<おおにし・れん> 1987年、東京都生まれ。2010年から生活困窮者への支援活動に取り組む。14年に認定NPO法人自立生活サポートセンター・もやいの理事長に就任した。

◆求められる連帯社会 明治大教授・重田園江さん

 生存権は朝日訴訟を例に今も教科書に書かれ、学校で教えられていますが、日常生活ではバブル経済時代に使われなくなりました。貧困が消えたように見えたからでしょう。バブルがはじけて貧困が再び問題になってからも生存権はあまり用いられません。その代わりに使われるようになったのが「セーフティーネット(安全網)」という言葉です。
 社会活動家の湯浅誠氏は、この言葉を広めた一人です。貧困者に欠けているのは金よりもつながりだと。そこで湯浅さんたちは彼らにつながりをつくるため、身元保証をしたり生活保護の申請に付き添ったりするネット(ワーク)をつくったのです。
 生存「権」は個人主義的な権利ととらえられがちなのに対し、安全「網」は連帯の発想が根底にある。しかも、全部やってあげるのではなく、(ノーベル経済学賞を受賞した)アマルティア・センの言う「ケーパビリティー=できる能力」を高めるという含意があります。
 より現代的なニュアンスを伝えるために使われるようになったセーフティーネットですが、異なる文脈でも耳にします。よく聞かれるのが「最低限のセーフティーネットがあれば、あとは自己責任の競争社会でいいんだ」という言い方。新自由主義にくっついて使われるようになってしまいました。
 今話題のベーシックインカム(最低所得保障、BI)もそのように使われる恐れがあります。BIは働くことと生きることを切り離すことで、社会が人を支える新しい仕組みです。ところがこれを「負の所得税」と同一視し、福祉切り捨ての道具にしようという動きが見られます。
 菅義偉首相が言う「自助」もそういう言葉でしょう。「自己責任」という言葉の冷たい響きを避けるための言い換えであり、本当は「誰もおまえを助けないよ」と言いたいのです。しかし、十九世紀に自助は英国の協同組合運動の中で資本や国家などの巨大組織とは別のつながりをつくるために使われた「セルフ−ヘルプ」でした。首相が言う「自由競争の世界を自力で生き抜く」という意味ではなかった。
 言葉はこうやって簒奪(さんだつ)されるものです。奪われたら奪い返さないといけない。私たちをばらばらにしていく競争社会ではなく、つなげていく連帯社会へと引き戻すことが求められているのです。 (聞き手・大森雅弥)

<おもだ・そのえ> 1968年、兵庫県生まれ。専門は現代思想・政治思想史。『連帯の哲学I』(勁草書房)、『フーコーの風向き』(青土社)、『社会契約論』(ちくま新書)など著書多数。

◆生活保護では不十分 同志社大教授・山森亮さん

 生存権をめぐる裁判や議論で中心に置かれてきたのは、生活保護の受給額の問題でした。それも重要ですが、生活保護を受けずに生活保護基準以下の生活をしている人がいることも見逃してはいけない点です。
 基準に当てはまる人の中で、実際に生活保護を受けている人の割合は、二割ほどといわれています。今、受給者は約二百万人なので、およそ八百万人が生活保護を受けずに、それ以下の生活をしていることになります。生活保護は生存権を全く保障できていない状況です。
 生存権を保障する手だてとして注目されているのがベーシックインカムです。生活保護は世帯単位で、申請に基づき所得や資産などが審査されます。これに対し、ベーシックインカムは個人単位で、すべての人に無条件で支給されます。荒唐無稽と思われるかもしれませんが、歴史のある考え方です。
 十九世紀の欧州では、社会に必要不可欠な仕事をしている人ほど低賃金で、労働条件は劣悪でした。そこで、待遇改善のため賃金とは別の形の所得保障が必要だと主張する人が現れました。収入があれば仕事を辞めるかもしれない。しかし、それは社会に必要な仕事だから誰かに働いてもらわないといけない。賃金は上がり、労働条件は改善する。そういう考え方です。
 コロナ禍の中で、医療や介護の現場、スーパーなどで働く人の労働条件が悪いことが世界中で浮き彫りになりました。ベーシックインカムは、二十一世紀を生きる私たちも参照すべきアイデアの一つだと思います。
 生存権は、無条件に誰にでも保障されている人権です。ベーシックインカムは、それを分かりやすい形で示していると言えます。さらに、性差別をなくす効果もあります。
 インドのある村で二〇一〇年から二年ほどベーシックインカムの実験が行われました。男女差別が子どもにも及んでいた村で、男の子は女の子より食事を多く与えられ、労働も免除されていました。ところが、収入が得られると、少年と少女の扱いに差がなくなったそうです。
 働かない人、金持ちにも配ることに反対もあります。導入するか否かは、社会が選択すべき事柄ですが、日本で導入する場合は二十〜三十年をかけて少しずつ既存の社会保障制度を組み替えていくべきだと思います。
 (聞き手・越智俊至)

<やまもり・とおる> 1970年、神奈川県生まれ。京都大大学院経済学研究科修了。専門は社会政策、経済思想。2011年から現職。著書に『ベーシック・インカム入門』『労働と生存権』(編著)など。

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