翁長氏「菅氏とは別の戦後を生きてきた」 似た経歴でも異なる原点 基地問題で対立

2020年10月21日 06時00分
<ふたつの戦後~菅首相と翁長前知事~(上)>
 菅義偉首相が就任して1カ月余。私は官房長官時代の最後に担当し、今も官邸で取材に当たる。日本学術会議問題などへの対応を見ていて思い出すのが、米軍新基地を巡って菅氏と相対した故翁長雄志おながたけし・前沖縄県知事。3年前に琉球新報に出向して取材したが、その言葉は、今も迫ってくるものがある。よく似た経歴で戦後を歩んだ2人が対立した経緯をたどれば「菅政治」の本質が見えてくるのではないか。意見の異なる人と対話が成り立たない今の政治の原因も分かるかもしれない―。翁長氏が残した言葉を見つめ直した。(この企画は村上一樹が担当します)=肩書などは当時
 2015年夏、菅官房長官と翁長知事が向き合った。米軍普天間ふてんま飛行場(同県宜野湾ぎのわん市)の移設に伴う名護市辺野古へのこの新基地建設計画を巡り、推進する国と、中止を求める県が那覇市や東京都内で計5回開いた集中協議。菅氏は官邸で沖縄政策を取り仕切っていた。

◆新基地建設巡り5回の集中協議は平行線

 太平洋戦争末期の沖縄戦を経て、戦後27年間に及ぶ米軍統治を強いられた沖縄。翁長氏が苦難の歴史に触れ、計画の再考を繰り返し求めたのに対し、菅氏の答えは「私は戦後生まれで、歴史を持ち出されても困る」。乾いた言葉に、翁長氏は「お互い別々に戦後の時を生きてきたんですね。どうにも擦れ違いですね」と無力感をにじませた。
 秋田の農家に生まれ、高校卒業後に家出同然で上京。都内の段ボール工場に就職するも、2年後に法政大に入学―。
 首相就任に伴い、広く知れ渡った菅氏の経歴だ。2年遅れて、同じ法政大法学部に進んだのが翁長氏だった。同時代に東京で学生生活を送り、菅氏は1973年、翁長氏は75年に卒業。それぞれ87年に横浜市議、85年に那覇市議として、自民党から政治家のキャリアをスタートさせた。歩んだ道は似ている。
 だが、新基地を巡る集中協議では、2人の歴史観の違いが浮き彫りになった。
 菅氏は、普天間飛行場の県内移設を最終報告した96年の日米合意に言及し「私自身にとっては日米合意が原点だ」と明言。600年前に成立した琉球王国が日本に併合された歴史までさかのぼり「(沖縄の)自己決定権が蹂躙じゅうりんされてきた」と訴えてきた翁長氏とは対照的だった。

◆「沖縄には魂の飢餓感」「日本全国みんなが苦労」

 翁長氏は県議、那覇市長を務め、自民党の沖縄県連幹事長に就いたこともあるが、新基地問題を目の当たりにして、反対の立場を鮮明にして知事選に勝利。保守と革新を結び付けた「オール沖縄」の民意を背にしていた。集中協議では「県民には『魂の飢餓感』がある」と繰り返し理解を求めたが、日米同盟を重視する安倍政権を背負った菅氏に譲歩という選択肢はない。
 パスポートを持って法政大に進学し、ドルで送金を受けた経験を紹介したこともあった翁長氏。終わりに「私の話は通じませんか」と問うと、菅氏は「辺野古に移すことが私のすべてだ」。最後まで視座は交わらず、一致点を見いだす余地もないまま協議は決裂した。菅氏は記者会見で「戦後は日本全国が悲惨な中で、みんな大変苦労して、豊かで平和で自由な国を築き上げてきた」と、沖縄だけが特別ではないと強調した。

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