翁長氏「米軍最高権力者と重なる」 上から目線の「粛々」使う菅氏に抵抗の弁説30分

2020年10月22日 05時50分
<ふたつの戦後~菅首相と翁長前知事~(中)>
 「『粛々』という言葉を使う官房長官の姿が、米軍軍政下の最高権力者キャラウェイ高等弁務官と重なる。上から目線の『粛々』という言葉を使うほど、県民の心は離れ、怒りは増幅し、辺野古へのこの新基地は絶対に建設することはできない」

◆「日本の政治の墜落」

 沖縄県の翁長雄志おながたけし知事は2015年4月、那覇市のホテルで菅義偉官房長官と就任後初の会談に臨み、県民の思いをぶつけた。戦後の歴史、過重な基地負担を強いられてきた実情。菅氏が「関係法令に基づき、辺野古を埋め立て、環境に配慮しながら工事を粛々と進めている」と従来の政府方針を説明したのに対し「粛々」の表現に抵抗感を覚えていた翁長氏の弁説は30分近く続いた。「沖縄が自ら基地を提供したことはない。県民に大変な苦しみを与えて、沖縄が負担しろということ自体が日本の政治の堕落ではないか」
 沖縄は1972年5月の日本復帰まで米国の施政権下にあり、米陸軍将官が「高等弁務官」として絶対的な権限を持って統治。復帰運動が激化した60年代前半の弁務官が、翁長氏が菅氏に重ね合わせたキャラウェイ氏だ。63年に那覇市で「沖縄の自治は神話にすぎない」と演説し、住民の反発を強めた歴史がある。

◆面会断られ続け

 翁長氏は米軍普天間ふてんま飛行場(宜野湾ぎのわん市)の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設に反対し、14年11月の知事選で建設を容認した現職に大勝した。だが12月の就任後、上京するたびに安倍晋三首相や菅氏に要請した面会は「多忙」などを理由に断られ続け、4カ月後に実現したのが沖縄入りした菅氏との会談だった。会場のホテルはキャラウェイ氏が演説した米軍将校施設の跡地に立つ。
 ようやく会談に応じたものの、菅氏は数カ月後の15年夏に開かれた新基地を巡る集中協議を通じ「辺野古移設は唯一の解決策」との原則を堅持。政権の大番頭として引けない立場だったとはいえ、翁長氏には訴えに耳を貸そうとしない「上から目線」に映った。
 菅氏の政治姿勢を読み解くヒントは、民主党政権時代の12年に発刊された自著「政治家の覚悟」にある(今月発売の改訂版では削除)。普天間移設で「最低でも県外」と表明した鳩山由紀夫元首相らを批判。ルネサンス期のイタリアの政治思想家マキャベリの言葉「弱体な国家は常に優柔不断である。決断に手間取ることは常に有害である」を引用し「日本を『弱体な国家』にするわけにはいかない。マキャベリの言葉を胸に歩んでいく覚悟だ」との決意を示した。

◆菅氏、強い国家を意識

 自民党は09年衆院選で野党に転落し、菅氏は12年の政権復帰とともに官房長官に就任した。3年間の苦渋の経験があったからこそ、強い国家を意識し、反対論には強行突破も辞さない姿勢につながっているように見える。
 沖縄問題に限らず、政策や人事の決定に際し、たびたび菅氏は周辺にこう語る。「おれがやると言ったらやるんだよ」
=肩書などは当時

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