fishy 金原ひとみ著

2020年10月25日 07時00分

◆孤独と絶望が生む共感
[評]横尾和博(文芸評論家)

 心と体を傷つける自傷が、デビュー作以来の著者の本質だ。自分を痛めつける行為は究極の自己表現だが、傷を示すことで、人は他者に何を求めるのか。
 本書は三人の女性が入れ替わり登場し、それぞれの鬱屈(うっくつ)を語る。居酒屋でのガールズトークは、昨今の社会風俗を背景としつつ、生の息苦しさや生きづらさを鮮やかに表現している。つかず離れずの危うい関係性に心惹(ひ)かれる。
 美玖(みく)は二十八歳。小説家志望のフリーライターで、既婚男性に恋して苦しむ。相手の妻より慰謝料請求され、金銭のためにガールズバーで働く。恋愛を夢見ることで自足するタイプだ。有能な編集者の弓子は三十七歳。こどもがふたりいるが夫に愛人ができて、夫は家をでていく。仕事も家事も完璧をめざし、自分の価値観で判断し、他者を許せない性格。三十二歳のユリは奔放で、裏表のない性格とほかのふたりにみられている。だが子どもの存在や家庭生活は謎めく。
 三人がそれぞれ自分の物語、心象世界を語っていくが仕事、恋愛、性、家族についてのトークで、鬱屈は軽くなるどころか深まるばかりだ。彼女らの生は空虚と寂寥(せきりょう)につつまれどこか刹那的で、その自虐と自傷は痛々しい。だが三人は会話がかみ合わなくても真剣に言葉を発する。それが本書の魅力となる。
 著者の長年の主題には、人と人とはわかりあえない、との思いがあるが、本書では痛みをわかちあうことで、希薄な現代の人間関係を回復し、ゆるい繋がりをめざそうとの意思が見える。
 題名は「魚のような」のほかに「胡散(うさん)くさい」の意味があり、生臭い人間の比喩である。私たちは小さな魚だ。狭い水槽は酸欠状態で、互いに傷つけ合っている。だが危うい容器でも、水槽の中で今を生きるしかない。世界自体が大きく憂鬱(ゆううつ)な水槽なのだ。個々人の徹底した孤独と絶望だけが、共感と連帯を生むことを著者は理解している。ぬるい水より、氷の絶望だ。説教臭いが、著者の父親世代の評者は本書をそのように読んだ。
(朝日新聞出版 ・ 1650円)
1983年生まれ。作家。『蛇にピアス』で芥川賞。ほかに『マザーズ』など。

◆もう1冊

金原ひとみ著『パリの砂漠、東京の蜃気楼(しんきろう)』(ホーム社発行、集英社発売)

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