記念碑的場所 将来へ守りたい 「砂川闘争」から65年 リーダーの孫、思い語る

2020年10月25日 07時03分

返還された植木畑で砂川闘争について語る青木栄司さん=立川市で

 旧米軍立川基地の滑走路拡張計画から農地を守ろうと、砂川町(現立川市砂川町)の住民が闘った「砂川闘争」から今年で六十五年。砂川町基地拡張反対同盟の第一行動隊長として反対運動を率いた青木市五郎さん(一九〇〇〜八五年)の孫、青木栄司さん(65)は、砂川闘争や平和への思いを語った。 (竹谷直子)
 「祖父の弟は六人とも戦地に出征し、一人は戦死した。だから戦争につながる滑走路の拡張計画は、よけいに抵抗があったのではないか」。栄司さんはそう言って市五郎さんに思いをはせた。
 陸上自衛隊立川駐屯地の東側。細い道を南に進むと約三千平方メートルの三角形の土地がある。市五郎さんは養蚕のための桑を栽培していたが、戦後に米軍に接収された。土地の明け渡しを求める訴訟での和解を経て、立川基地が日本に全面返還される前年の一九七六年に取り戻した。今は栄司さんが植木畑として手入れしている。
 砂川闘争は、米軍が戦後に日本軍の飛行場を接収してつくった立川基地周辺で繰り広げられた。五五年に拡張計画が表面化し、闘争へと発展。市五郎さんの言葉「土地に杭(くい)は打たれても心に杭は打たれない」はスローガンとなった。米軍は六八年に拡張計画を断念し、跡地に駐屯地などが整備された。激しい闘争の歴史は今も地元で語り継がれている。「ここは砂川闘争の記念碑的な場所。将来にわたって守りたい」と栄司さん。「一人一人の行動の積み重ねこそ平和につながる」と力を込めた。
 今月十一日には、砂川闘争六十五周年記念の市民集会がこの土地で開かれた。集会に合わせて行われた哲学者、鵜飼哲(さとし)さんの講演の動画が「ユーチューブ」で公開されている。「砂川闘争六十五周年記念集会」で検索。

関連キーワード

PR情報

東京の最新ニュース

記事一覧