行く先々で集めたヒバクシャ国際署名3481筆 弟・張本勲さんの記録超える 

2020年10月26日 11時45分
「ヒバクシャ国際署名」に取り組む、元プロ野球選手張本勲さんの姉で被爆者の小林愛子さん=兵庫県加古川市で(共同)

「ヒバクシャ国際署名」に取り組む、元プロ野球選手張本勲さんの姉で被爆者の小林愛子さん=兵庫県加古川市で(共同)

  • 「ヒバクシャ国際署名」に取り組む、元プロ野球選手張本勲さんの姉で被爆者の小林愛子さん=兵庫県加古川市で(共同)
 たった1人でこの2年半、核兵器廃絶を求める「ヒバクシャ国際署名」3481筆を集めた。元プロ野球選手張本勲さん(80)の姉で、広島で被爆した小林愛子さん(82)=兵庫県加古川市。核兵器禁止条約の来年1月発効が決まり、「核兵器がこの世から全てなくなるまで、命ある限り署名活動はやめない」と思いを新たにしている。

◆断られても「被爆死した姉の無念を思えば」

 「お仕事中、失礼します!」。市役所、郵便局、銀行、企業―。小林さんは兵庫県内外、どこへでも飛び込み「子どもたちが幸せになるために、お願いします」と署名用紙を差し出す。かばんにいつも用紙を忍ばせ、旅先でもチャンスがあれば喫茶店やスーパーで署名を願い出る。断られても、決してくじけない。「原爆で亡くなった姉の無念を思えば、何てこともない」
 1945年8月6日、小林さんは広島の爆心地から約2・3キロの自宅で、母と張本さんと共に原爆に遭った。爆風で家は崩壊。子2人に覆いかぶさった母の背中にはガラス片が突き刺さり、小林さんのシャツは母の血で真っ赤に染まった。その血が生臭かったのを、今も鮮明に覚えている。
 勤労動員で市中心部に出ていた4歳年上の姉点子てんこさんは、全身にひどいやけどを負い、数日後に息を引き取った。優しくてかわいかった自慢の姉。「姉が何か悪いことでもした? 原爆さえなければ、今も仲良く話ができていたのに」。父を早くに亡くし、強い絆で結ばれていた家族に点子さんの死は重くのしかかり、戦後、原爆の話題が出ることは一切なかった。

◆「条約が発効しても、核兵器がなくならないと」

 「こんな悲しい話なんて思い出したくないし、誰も聞きたくないはず」。そう考えていた小林さんだったが、十数年前、熱心な依頼を受けて小学校で初めて証言をした際、児童らの感想文の熱量に圧倒された。「私の話で何かを感じてくれる人がいるなら、話さなければ」。原爆と向き合い、核廃絶の活動をしていこうと腹をくくった。
 署名集めを始めたのは2018年春。当初の目標は、弟の張本さんが誇るプロ野球最多安打記録の「3085」。地道に活動を続け、昨年末ついに追い抜いた。
 75年たつ今も脳裏に焼き付いているのは、目も鼻も分からないほど焼かれ死んでいった姉の姿だ。「あんな悲劇は2度と起こさせない。条約が発効しても、核兵器がなくならないと意味がない」
(共同)

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