子規と総武鉄道 土屋武之さん

2020年10月27日 07時09分
 千葉県は江戸時代から利根川や江戸川の水運が盛んなところで、明治になっても鉄道建設の機運はなかなか高まらなかったそうだ。しかし、陸軍の施設も多かったことから「軍隊の輸送に資する」と理由をつけ、同県初の鉄道として、総武鉄道の市川−佐倉間が1894年7月に開通。12月には本所(現在の錦糸町)へ延びた。今の総武線だ。経由地はいずれも軍関係の要地で、同年には日清戦争が始まっており、さっそく活用されている。
 開業直後、「鉄道は風雅の敵」と言いつつ、新しい列車に乗って「発句枕を探る」のも一興とし旅立った、当時27歳の若い新聞記者がいた。正岡子規である。その模様は「総武鉄道」と題し、新聞紙上で発表された。子規はすでに俳句の革新運動を始めており、この旅でも多くの句を残している。その一つが、JR四街道駅前の碑に刻まれた「棒杭や四ッ街道の冬木立」=写真。人家も少ない、寒々とした土地が広がっていたからこそ軍隊には便利だったわけで、四街道も例にもれなかった。
 本所駅に改札口はなく切符は車内で車掌が売りに来たとも、この紀行には記されている。まだ利用客も限られており、始発駅の喧噪(けんそう)もない閑散ぶりであったようだ。

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