大城立裕さん死去 「カクテル・パーティー」沖縄初の芥川賞

2020年10月28日 07時33分
 沖縄県出身で初めて芥川賞を受賞した大城立裕(おおしろたつひろ)さんが二十七日、老衰のため死去した。九十五歳。沖縄県出身。葬儀・告別式は三十日午後二時から沖縄県浦添市伊奈武瀬一の七の一、いなんせ会館で。喪主は長男達矢(たつや)さん。
 沖縄の歴史や文化を題材に小説や戯曲を執筆し、一九六七年に米兵によるレイプ事件を描いた「カクテル・パーティー」で沖縄の作家として初めて芥川賞を受賞した。著書は「小説琉球処分」「対馬丸」など多数。二〇一五年に短編小説「レールの向こう」で川端康成文学賞を受賞した。
 中国で終戦を迎え、帰国後は高校教師を経て琉球政府職員に。沖縄県立博物館(現在の沖縄県立博物館・美術館)の館長などを務めながら創作活動を続けた。
 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設には反対の立場を鮮明にした。一五年五月十七日に開かれた辺野古移設に反対する「沖縄県民大会」で共同代表を務め、当日は体調不良で欠席したが「県民大会の成功を祈ります」とのメッセージを寄せた。

◆「複眼」で見つめた沖縄

 二〇一〇年、大城立裕さんに話を聞いた時、穏やかな表情と口調が、少し意外だった。ちょうど米軍普天間飛行場の移設問題で、県外案を掲げた民主党政権がそれを果たせず、混迷していたころ。地元の文化人は、さぞ厳しく批判するだろうと想像したが、違った。大城さんは、ただ静かな笑顔で「沖縄を描くことは、難しくてね。単にむごたらしいというだけでは、ユニークな文学にならないから」と語った。
 一九六〇年代まで、沖縄は「文学不毛の地」と、いわれることがあったという。その中から出てきた大城さんの活躍が、後続作家に与えた影響は大きい。
 自身の創作を、地域に軸足を置いた「沖縄の私小説」と位置付けた大城さん。代表作の一つ「小説琉球処分」(六八年)が長く読み継がれていることについて「日本国家と沖縄の関係が、百年以上前から何も変わっていないから」と、理由を推し量った。「沖縄は、いわば国内軍事植民地なんだな。琉球処分、沖縄戦、そして今の基地の問題は、全部同じですよ」
 地域が背負わされた矛盾や理不尽を淡々と指摘する一方で、大城さんが大事にした姿勢は「複眼」。怒りにまかせて被害を描くのではなく、多面的な事実に目を向けた。たとえば芥川賞受賞作「カクテル・パーティー」。娘を暴行された沖縄人の主人公が、過去に自分が中国で行った加害を考える場面がある。「誰しも加害者であり、被害者である。両方を意識することで、今の加害者に抵抗する資格を持つ」
 立場の違いによる分断が進む今の社会で、大城さんの作品は、ますます価値あるものとなるはずだ。「読まれ続けるのはありがたいけれども、読まれる意味を考えると、ありがたくないんだな」。その言葉をこの先、何度も思い返すだろう。 (中村陽子)

◆伝統と革新を生きた

<作家の玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう)さんの話> 初めてお会いしてから二十年近くになるでしょうか。以来、沖縄を訪ねるたびに食事などを共にしてきました。沖縄で作家をしていると政治と無関係ではいられませんが、大城さんは安易に批判はしなかった。「自分だったらどうか」と冷静に考える人でした。沖縄の伝統的な劇の脚本を手掛けながら、晩年まで小説作品を書き、伝統と革新を生きた。書くことへの熱情はすごかった。本当に残念です。

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