「現役最強」の名敵役 デビュー20年、初の名人を獲得 渡辺明三冠(将棋棋士)

2020年10月31日 13時53分
 史上最年少で二冠を達成した藤井聡太王位(18)=棋聖=の活躍にわいた今夏の将棋界。もう一人の立役者はこの人だった。最多の三冠を保持し「現役最強」とも称される渡辺明名人(36)=棋王、王将。七月、藤井王位に棋聖を奪われたが、八月には初の名人を獲得した。「藤井さんに対抗できる人がいないと盛り上がらない。データは得られたので次は対策を構築したい」と再戦の日を見据える。
 十五歳のデビューから、今春で二十年を迎えた。二十歳で初タイトルの竜王を獲得して以降、積み重ねたタイトルは二十六期。現役では羽生善治九段(50)の九十九期、谷川浩司九段(58)の二十七期に次ぐ三位で、竜王と棋王の永世称号の資格も持つ。順風満帆に見える棋士人生だが、最も歴史あるタイトル、名人への道は意外に遠かった。
 名人戦の予選に当たる順位戦では、最高峰のA級から二〇一八年三月、一つ下のB級1組に陥落。「名人は自分には縁がないものと、一度気持ちが切れてしまった」。一七年度は人生初の年間負け越しを喫し、保持するタイトルも棋王のみの一冠に追い込まれていた。
 不振の背景には、人工知能(AI)がもたらした戦術の激変があった。玉を固めるだけ固め、一気に攻めるという得意スタイルを確立していたが「その手法をAIは評価せず、具体的な攻略法まで示してきた。急な価値観の変化に対応しきれなかった」。
 しかし、ひとたびAI研究の最先端に踏み込む覚悟を固めると、たちまちV字回復を果たした。自身最多の三冠に復帰し、昨年度の最優秀棋士にも選ばれた。順位戦では、B級1組からA級まで二十二戦全勝の圧倒的な成績で名人に挑戦、奪取している。「一度落ちたことで、結果的に前より勝てるようになった。もし可もなく不可もない成績が続いていたら、新しいチャレンジはできなかった」と感慨深げに振り返る。
 では具体的にAIで何が変わったのか。「序盤ですね。AIで局面の優劣を数値化できるので、あいまいなところのあった序盤研究が精密にやれるようになった」。もともと番勝負での戦い方にたけた戦略家として知られる。藤井王位に一矢報いた棋聖戦第三局では、初手から九十手進んだ局面が事前の研究範囲だったと感想戦で明かし、周囲を驚かせた。「AIで戦略が立てやすくなった点も、相対的に自分が上にいった理由だと思う」
 ただ研究合戦が激化したことで、今の将棋界は「選択肢が狭くなった」とも語る。「どれも同じような将棋ばかりになっている。十年前の方が新しい指し方へのチャレンジがあった」。その現状を憂えているかというと「今、盤上で個性を出そうと思って指す棋士は少ない。今後は芸術者から研究者の側面が強くなっていくでしょう」と冷静に分析する。そして、その研究にさぞ苦しみながら励んでいるのかと思いきや「ただ暗記しているだけです。時間がかかって面倒だけど、やることは決まっているので」と笑ってみせる。
 過去には羽生九段の「永世七冠」達成を二度にわたって阻み、今また藤井王位の前に立ちふさがる。人気棋士の“敵役”と見られがちな巡り合わせがある。「自分は大棋士の系譜には入らないと前々から思っていた。そこを継ぐのは藤井さん。でも社会を巻き込む主役でなくても、その敵役というだけで十分誇れること。対藤井戦はキャリア後半のやりがいの一つになる」
 このインタビューでも普段の対局後の取材でも、常に自分の考えを率直に述べる。それが棋士・渡辺明の魅力だろう。妻で漫画家の伊奈めぐみさんによるコミックエッセー『将棋の渡辺くん』(講談社)でも、手痛い敗戦後の感想から、ぬいぐるみ好きという私生活の意外な一面まで、包み隠さず描かれている。
 戦略上、自らの手の内を明かすことは損ではないのか。そう尋ねると、明快な答えが返ってきた。「確かに損かもしれない。でも、ある程度のことを言った方が、見ている人は面白いじゃないですか」。それに、と付け加える。「そんなことで勝てなくなるほど自分の将棋は浅くないので」。そう不敵に笑う姿は確かに、名敵役という言葉が似合っていた。 (樋口薫)

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