ジョン・レノン 生誕80年・没後40年 世界は今も「イマジン」を求めて

2020年11月1日 07時16分

ジョン・レノン(右)とヨーコ・オノ=1972年4月、米ニューヨークで(AP・共同)

 「想像してごらん、全ての人々が平和に暮らしていると」−。米国で人種差別反対や反戦運動が盛り上がっていた一九七一年、ビートルズのメンバーだったジョン・レノンが発表した「イマジン」のフレーズだ。それから半世紀近く、レディー・ガガら世界中のアーティストたちが歌い継ぎ、世界中で親しまれている。今年はレノンが生誕して八十年、凶弾に倒れてから四十年。「イマジン」は今も必要とされている。 (鈴木伸幸)
 「ラブ&ピース」と訴え続けたレノンにまつわる内容が書かれたことから命名された「レノン・ウォール」が世界中にある。今、ホットなのは香港だ。民主化を訴える市民が「人権」「自由」「人民に力を」などと書いたカードで壁を埋め尽くす。もちろん「イマジン」の歌詞も。

2019年7月、香港の「レノン・ウォール」。 自由を求めるメッセージなどが書かれた 付箋が壁一面に貼られている(共同)

 街のあちらこちらにウォールができては当局が撤去。すると別の場所にウォールができて、また撤去−。現地英字紙「サウスチャイナ・モーニング・ポスト」は最近「香港大学の校内で急拡大したウォールが撤去された」と大きく報じた。
 ウォールが初めて登場したのは冷戦下のプラハだった。八〇年十二月八日、レノンが米ニューヨークの自宅前で熱狂的なファンに撃たれて死去した直後から、民主化を求める若者たちが、壁にレノンが手掛けた歌詞やメッセージなどを落書きするようになったことがきっかけだ。以降、世界各地にウォールは生まれている。
 今も人々の心の支えとなっているレノンの原点は、ビートルズ。六二年にレコードデビューし、大ヒットを連発、ライブで世界のファンを興奮させた。その中心にいたレノンは後に結婚する前衛芸術家のヨーコ・オノ(87)と六六年に出会ってから、メッセージ性の高い楽曲を作るようになった。米国では人種差別反対やベトナム戦争反対のデモ隊と警官の衝突が頻発。レノンの母国英国では分離独立を目指す北アイルランドの紛争が激化していた時代だ。
 六九年には、オノとの新婚旅行で訪れたアムステルダムでホテルに記者を呼び、平和について話し合う「ベッド・イン」を実施。人種や民族による差別に反発して大きな袋に入り、姿形を隠して記者会見する「バギズム」でも注目された。七一年には、体制を批判する「パワー・トゥ・ザ・ピープル」を発表。続く「イマジン」では、「宗教も、国境も、物欲もない、争いのない世界を想像してごらん」と訴えた。
 「イマジン」の誕生にはオノが影響している。レノンは亡くなる二日前、英BBC放送の取材にこう話している。「歌詞もコンセプトも多くはヨーコから出ている」「彼女の本『グレープフルーツ』からのアイデア」。その著書には、読者に青空や太陽を空想させるために「イマジン(想像してごらん)」というフレーズが繰り返されている。
 静かなメロディーの歌詞はアナキズム(無政府主義)ともいえ、体制側には疎まれた。レノンは七一年、ニューヨークに移住しようとした。だが、反戦運動への影響を懸念した当時のニクソン政権は永住権取得を即座には認めなかった。
 「イマジン」は「(夢を追うのは)僕一人じゃない。いつか君も一緒になって、世界は一つになるだろう」と締めている。だが、今も世界は一つにならず、米国では黒人差別による分断が深刻化し、世界的に排斥主義がまかり通っている。
 レノン、オノと親交の深い作詞家で音楽評論家の湯川れい子(84)は「東アジアには軍拡の動きがあり、ロシアや東欧も不穏。地球温暖化に加え、食料不足や経済格差も深刻化して『イマジン』の発表時より、今の世相は悪い」と嘆く。
 「ジョンとヨーコは西洋と東洋、男と女、陰と陽−と対照的な存在。徹底的な話し合いで壁を越えて一つになり、『イマジン』が生まれた。それが愛され続けるのは、永遠の真理だから。拳を突き上げるのではなく、話し合う。そうしなければ未来はない。今こそ『イマジン』だと思う」

◆元祖イクメン 軽井沢の夏休み

喫茶店「離山房」の庭で、息子のショーン(右)を見つめるレノン(槙野あさ子提供) 

 レノンは「元祖イクメン」だった。七五年十月九日、自分と同じ誕生日に息子ショーンが生まれた。自身が少年時代に家庭環境に恵まれず、七〇年に発表した名曲「マザー」には母親への思いを込めた。そんな体験からか、ショーン誕生を機に音楽活動を控え、子育てに積極的に参加した。
 頻繁に訪日し、七七年からはオノの別荘がある長野・軽井沢で夏を過ごすようになった。そこでよく通った喫茶店「離山房」は今もある。レノンは、ヨレヨレのシャツにジーパン姿で、ゴム草履を履いて、やって来た。そんな格好の外国人宣教師も少なくなく、当時の経営者、槙野あさ子(93)は「最初、誰だか分からなかった」と言う。

喫茶店「離山房」前で、レノンが使ったカップを手にする現オーナーの大高晶子(右)と大高秀介 =いずれも長野県軽井沢町で

 カラマツ林の中にある静かな店をレノンは気に入ったようで、ショーンを自転車に乗せてやって来ては庭のハンモックで遊んでいた。何かいたずらでもして、オノに叱られてショーンが泣いていると、レノンは笑いながら「ママは怖いね」と慰めていた。レノンとオノはいつもコーヒー、ショーンはブルーベリージュースを飲んでいた。
 七九年八月末。「また、あした」と店を出たレノンは革ケースに入ったライターを置き忘れた。ところが翌日、急用で米国へ。音楽活動を再開したレノンは八〇年夏は来店せず、その後、姿を見せることはなかった。ライターは八七年、来店したオノに返した。オノは点火して炎を眺めながら「ジョンが後ろにいるみたい」とつぶやいたという。
 (文中敬称略)

★六本木で2人の軌跡展

 レノンとオノの軌跡を写真や動画などで振り返る展示会「ダブル・ファンタジー」は東京・ソニーミュージック六本木ミュージアムで来年一月十一日まで開催中。要予約。レノンの新ベストアルバム「ギミ・サム・トゥルース」も発売された。公式ファンクラブ「ザ・ビートルズ・クラブ」のオンラインストアに各種のDVDやCDなどがそろっている。

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