コロナと文化・芸能

2020年11月2日 07時17分
 明日は文化の日。文化や芸能の世界も、イベントの入場制限など新型コロナウイルスにほんろうされてきた。文化を支えるインフラは今や危機的状態。「不要不急」とされた文化・芸能の本当の価値とは?

<コロナ対策のイベント規制> 新型コロナウイルスの感染予防の柱は、密閉、密集、密接の「3密」の回避。イベントは3密そのもので、2月に政府は自粛を要請、音楽、演劇、美術などの催しも軒並み中止された。
 ようやく9月に入って入場制限は緩和され、映画や演劇など静かに鑑賞する催しは満員もOKに。映画「鬼滅の刃」がヒットするなど回復の様子を見せている。しかし、イベントを支える照明などのスタッフたちの苦境は続いており、文化のインフラの崩壊が危惧されている。

◆演劇の公的機関必要 劇作家・演出家 坂手洋二さん

 「リモート演劇」は、誤解を招きやすい、危険な言葉だと思います。映像は演劇ではありません。リモートで演劇ができるというのは錯覚です。
 大学の講義のように伝える目的があり、求められている効果が明確でぶれないときにリモートは有効ですが、演劇の双方向性を確保するには、リアルに、フィジカルに人が集まることが不可欠です。
 公演でのコロナ対策はできる限り丁寧にと心がけてきました。三月公演では、次亜塩素酸水の噴霧などもしました。その後あまり効果がないことがわかりましたが、その時々で最善と考えられる策を取ったのです。七月以降、マスクを着用していれば隣席に人がいても大丈夫だというのが大方の共通認識になりましたが、欧米と比較して日本の感染者が少ない原因も解明されておらず、どう解決に向かうのか先が読めない状況は今も変わっていません。
 今回のコロナで一つはっきりしたことは、イベントは支援しても、インフラ自体を支えるという発想が行政にはないことです。「Go To−」キャンペーンしかり、まず事業ありきの支援策しかない。
 文化全般の予算が少なすぎる上に、演劇については社会的な存在意義が認められていない。日本の国立大学には芸大も含めて、演劇科がない。こんな国はめったにないと思います。
 やはり、教育も含めて現状をきちんと認識できているパブリックな機関が必要です。今回のコロナのような問題が起きた際は、そこに援助をして対策指針を打ち出すというのが本来の形だと思います。その下地がないのです。
 最近、社会包摂や地域振興に「演劇」が有効であるという考え方をよく聞きますが、コミュニケーションツールとしての演劇の有効性を認めているだけの場合が多く、演劇本来の魅力や可能性に目を向けていない。「音楽」や「美術」がこのように扱われることはありえないと思いませんか。
 数年前から国立大学への演劇科の設置を要望しています。同時に、大学以外の受け皿づくりとしては、十五、六年前に井上ひさしさんたち先輩方が強く創設を主張しておられた「演劇センター」のような機関について、いま一度演劇人が議論すべきだと思っています。
 (聞き手・中山敬三)

<さかて・ようじ> 1962年、岡山県生まれ。83年に劇団「燐光群」を旗揚げ。2006〜16年、日本劇作家協会の会長を務めた。日本演出者協会常務理事。鶴屋南北戯曲賞など受賞多数。

◆想像力と寛容性養う 神戸大教授 藤野一夫さん

 日本のこれまでの文化振興は民間の力が大きく、国や自治体の関与が少ない状態が続いてきました。一九七〇年代に国民の価値観が物から心の豊かさへと変わったものの、企業が提供するものを享受して満足する消費文化が広がりました。ハードであるホールや美術館はゼネコンに任せ、ソフトは大手広告代理店にお願いするイベント文化の時代です。
 市民自治と表裏一体の関係にある市民文化は育たず、文化は大地に根を張った草木ではなく、切り花のような飾り物、経済的に余裕がある時のぜいたく品と見なされてしまいました。
 人や物の移動が制限される一方、情報が氾濫しているコロナ禍の今、最も考えないといけないのは、文化の本来の役割です。それは、本当に良いものを判断できる感覚を磨き、想像力を育むこと。自分と異なる多様なものに思いをはせ、幅の広い見方、寛容な精神を養ってくれるものだということです。
 科学技術の進歩で、情報産業と国家権力が結託すれば私たちは簡単に操作され、民主主義や市民社会が息の根を止められかねない。デジタル化の落とし穴です。それを防ぐためには、誤った情報に洗脳されない主体性を育むことが重要ですが、個人では難しい。信頼できる人たちと国境をも超えた連帯感を醸成することが求められます。文化は、五感を通してさまざまな問題を可視化し、連帯を生み出せる媒体。不要不急どころか、今こそ必要不可欠なのです。
 日本学術会議の任命拒否問題では「学者が意見を言うのはいいが、国の予算でやるな」との見解が多いことが浮き彫りになり、昨年のあいちトリエンナーレでも同様の指摘がありました。コロナ禍で文化への支援の手厚さが注目されたドイツでは、自由な議論の場の保障こそ公的にすべきだという真逆の発想です。文化政策もナチス時代の反省を徹底し、戦後三十年ほどはかかりましたが、ユダヤ人の芸術など排除していたものに光を当て、対立意見も寛容に受け入れ、積極的に支援していく姿勢に変わっていきました。
 歴史的経験が異なる日本でも、若い世代に権限移譲して創意工夫が生かされる場があれば、各地域ごとに文化の活力を引き出せると思います。二〇二五年の大阪・関西万博が岐路になるとみますが、広告代理店主導の消費文化の再燃を危惧しています。 (聞き手・清水祐樹)

<ふじの・かずお> 1958年、東京都生まれ。神戸大大学院国際文化学研究科教授。日本文化政策学会副会長のほか、各地の文化振興に関する審議会などの委員も多数兼任している。

◆久々ライブ 幸せ実感 シンガー・ソングライター 藤田麻衣子さん

 九月下旬、七カ月ぶりにお客さんの前でライブをしました。ステージに出ていくと、お客さんがすごく拍手をしてくださって。その顔が見えたら胸がぐっときて、涙をこらえるのに必死でした。
 まだライブ会場に足を運ぶのをためらう人もいるでしょうから、お客さんはほとんど来られないだろうと思っていました。なので、あの力強い拍手には感動しました。コロナ対策で、お客さんは声を出せないんですけど「お帰り」とか「待ってたよ」と言ってくれているように感じました。
 三月からライブはすべて中止になりました。目の前のライブがなくなった残念さもありましたが、それ以上に「いつまで続くんだろう」という不安の方が強かったような気がします。ニュースを見ると、二、三カ月で元に戻るとは思えません。だんだん怖くなってきたので、ある時から情報を入れ過ぎるのを避けるようにしました。
 ライブ休止中は、自分に今、できることは何だろうなと考えながら動いていました。六月に出版するエッセーの原稿を修正したり、自宅でできる活動として、自分の曲をオルゴール曲にアレンジしてアルバムを作ったり。七月にはスタジオライブを有料配信しました。
 そんな時、名古屋市文化振興事業団から「きみのあしたプロジェクト」の話をいただきました。名古屋で芸術や文化に携わっている人たちが、コロナで大変な状況にある。彼らと一緒に何か作ろう。視聴した人も元気で前向きになれる動画作品を。そういう企画でした。「ぜひ参加させてください」とお伝えしました。私は作詞・作曲と歌の担当です。これが今、自分にできることだと思いました。
 今回のライブツアーでは、九〜十月に三都市を回りました。スタッフの中には、コロナが広がってからライブの仕事は二回目だと話していた人もいます。演奏家の方も活動の場が少なくなって困っています。そういった話も耳にします。
 久しぶりにライブをしたら、ミュージシャンもスタッフも皆生き生きしていました。一緒に演奏してくれる仲間がいて、支えてくれるスタッフがいる。そして、私の歌を聴きに来てくれる人がいる。その幸せと、ライブの素晴らしさを実感できる夢のような時間でした。
 (聞き手・越智俊至)

<ふじた・まいこ> 1984年、愛知県生まれ。2006年「恋に落ちて」でデビュー。テレビ番組の主題歌や挿入歌、CMソングも手掛ける。3月にアルバム「necessary」をリリース。


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