《東京近郊 気まぐれ電鉄》房総のローカル名線 小湊鉄道といすみ鉄道

2020年11月11日 12時02分

<今回利用したルート>
《JR中央線》
新宿ー千葉
《JR内房線》
千葉ー五井
《小港鉄道》
五井ー養老渓谷
《いすみ鉄道》
上総中野ー上総中川

房総の街で二本のローカル線が交差


 今回は久しぶりに少し遠出をしてみよう。房総半島の中央を横断する、小湊鉄道といすみ鉄道に乗るプランを立てた。
 朝の7時過ぎ、新宿から中央線で出発する。平日のこの時間、スシ詰めというほどではないが車両は通勤客で混みあっている。御茶ノ水ですぐ向こう側の総武線に足早に乗りつぐと、浅草橋あたりでようやく空いてきた。

ラッシュのピークではないが少し混んでいた朝7時ごろの中央線。

 荒川、江戸川を渡って市川、船橋と千葉県内に入っても、まだあまり旅の気分ではない。メッセのビル群が右窓に見える幕張、いまだ小学校時代の汐干狩りの思い出が回想される稲毛を過ぎて、千葉で内房線に乗り換えた。中央線が少し遅れたせいで内房線のダイヤも乱れている。外房線と分かれる蘇我、浜野、八幡宿を通過して五井。ここが小湊鉄道の始点駅である。
 JRと同じ駅の3、4番線が小湊鉄道の乗り場だから、通常の6分の間隔があればゆうゆうと乗りかえられるはずだったが、前がオシたのでもう小湊の車両は発車しようとしている。乗車する車両をじっくり眺めることもなく、小走りに乗りこんだ。
 朱とクリーム色のツートンに配色された、なんとなく懐かしい雰囲気の電車…と、ついつい書きたくなるところだが、小湊鉄道はすべて気動車なので正確には電車ではない。つまりこの連載のタイトル(気まぐれ電鉄)と違うってことになるけれど、まぁ「電鉄」というのは語呂で付けたようなものだから、大目に見ていただきたい。
 ちなみに小湊鉄道の「小湊」は外房の鴨川市東端の地を指すもので、ルートからはかなり外れているが、大正時代の終わりに開通したこの鉄道は当初、小湊にある日蓮宗の大本山(日蓮上人の生誕地とされる)、誕生寺をめざしていたのだ。寺社の参詣客が鉄道の重要なお客さんだった時代ならではの計画、ともいえるだろうが、国鉄の木原線(現・いすみ鉄道)との中継が決まったり、外房線が開通したり、ということもあって実現しなかった。いまのルートならば「上総鉄道」みたいな名前が妥当だったろう。

40年以上も前に製造された小湊鉄道の車両。

 僕らが乗ったキハ212という車両は1975年製で、いまどき十分ベテランといえるだろうが、この鉄道は60年代くらいからほぼ同じスタイルの独自車両を使っていることもあって、70年代よりさらに古い時代の趣がある。車窓は総武線、内房線までの景色とは打って変わって、五井を出るとまもなく緑の田畑が広がる田園風景になった。
 車両はもちろん地元の利用者もいるのだろうが、一見して観光客、あるいは鉄道マニアと思しき人が目につく。最後方の窓越しに一眼レフカメラで鉄路の景色を狙う青年、地図を広げて今後の行程を練っているような老夫婦…人気のローカル鉄道らしい車内風景だ。
 沿線には開通当初からと思われる素朴な平屋の木造駅舎(ただ古いばかりでなく、木彫りのクマやら奇妙なオブジェやらで装飾を施した駅もある)がよく残っているが、駅の名前もおもしろい。たとえば、海士有木。コレ、「あまありき」と読むのだ。海士と有木は別の集落のようだが、前者は漁師の集落(海女あまさんも関係しているのだろう)に由来するようだ。しかし、いまの地図上ではかなり海からは遠い。
 沿線では比較的大きな上総牛久(他とカブる地名には“上総”と付けるのかもしれない)、少し奥に城跡のある上総鶴舞、ダム湖が垣間見える高滝を過ぎると、ぐっと山が近づていくる。
 飯給、というのも先の海士有木と並ぶ難読駅名だ。「いたぶ」と読むこの地は、上総地方に多々伝わる“大友皇子の生存説”に由来するものらしい。「壬申の乱」に敗れて自害したはずの大友皇子、実は身代わりが出て生き延びたという一説があるけれど、生き延びて房総まで逃げてきた大友皇子にこの土地の人が飯を給した…というのが地名のもとなのだという。
 ところで、この飯給から月崎にかけての線路端には春の菜の花や桜が美しいポイントがあって、僕が審査員を務めたことのある、本紙(東京新聞)のフォトコンテストでも小湊線とのショットで構成された作品をよく見掛ける。

温泉街の面影が残る養老渓谷


養老渓谷の駅には足湯スポットが。取材時は残念ながらクローズしていた。

 車窓の右左を湾曲しながら流れていた養老川の谷が段々と深くなってきて、終点の養老渓谷駅に到着した。時刻は10時ちょっと前、まだ“お昼”には早いけれど、12時過ぎには「いすみ鉄道」の方へ出発しなくてはならないからランチをやっている店を探しつつ、渓谷の中心街の方に向けて歩きはじめた。
 学校下踏切という田舎じみた踏切を渡り、車が行き来する大通りの停留所にやってきたバス(小湊鉄道バス)に乗って車窓から町並をチェックすることにした。飲食店の看板が目につくのは旅館が並ぶ温泉郷のあたりだが、まだ開いている気配の店はない。このバスは渓谷の人気スポット・粟又の滝の方まで行く路線で、小湊鉄道の車中で地図を広げていた老夫婦が乗っていたが、僕らはそこまで行く余裕はない。山坂を上りはじめた小田代の停留所で降りて、さっき車窓越しにちらりと“営業間近”のムードが感じとれた「清恵」という看板の店を目当てに坂を下った。

刺身も天丼もユバづくしの定食。

 11時開店の「清恵」で生ゆばにうどん、ゆば天丼…というユバづくしの定食をいただいて(大豆や水がいいのかゆばは旨かった)、駅の方へおよそ2キロの道を引き返す。この取材、台風で1度延期したのだが、この日も時折小雨の降る空模様。やがてバスの窓越しに見た温泉旅館街に差しかかり、すぐ傍らの養老川にシンボリックな赤い橋が架かっている。観音橋というメガネ型の橋だが、ここの上から谷の水流を見渡して、ようやく「養老渓谷にやってきました」という気分になった。

実際歩いてみるとかなり勾配がきつい観音橋。

 裏道の方から駅に向かっていくと、古い門と二宮金次郎の石像(たき木を背負った)だけ残した廃校(小学校)跡に出くわした。坂を下った所が学校下踏切。なるほど、学校下ってそういうことだったのか…。

もう校舎も残されていない朝生原小学校の跡地。

 当初、12時14分発の上総中野行きに乗るつもりだったのだが、改札で女性駅員にいわれた。「不通ですよ。バスで行ってください」。そうか、うっかりしていたが、小湊鉄道は昨秋の豪雨被害以来、まだ養老渓谷と1つ先の上総中野の間が復旧していないのだった。駅前に停車していた代替バスへ乗り込んで、先ほど往復した街道を上総中野へと向かう。
 上総中野は小湊鉄道といすみ鉄道が中継する駅で、ホームを挟んで両者の車両が並ぶショットがよく鉄道の本に載っているが、残念ながらいまは片側にいすみ鉄道の車両しかいない。こちらも小湊と同じく気動車でカラーリングもよく似ている(黄に緑帯のものもある)けれど、車両も駅も小湊よりかなり新しい。西畑、総元……車窓は相変わらず山間の田園風景。10月なかばだから、まだ紅葉は進んでいないが、この原稿がアップされる頃には鮮やかな紅茶色に色づくのだろう。
 大多喜は沿線屈指の城下町。そういえば、養老渓谷の旅館街に〈本多忠朝を大河ドラマに……〉なんてポスターが掲げられていたが、大多喜城は本多氏の居城として知られる。

数々の鉄道車両が歴史を語る「ポッポの丘」


 大多喜を過ぎると房総の山の東側、外房の側の平地に入る。その最初の駅、上総中川で降りて、今回のもう1つの目的地「ポッポの丘」をめざす。
 グーグルマップの指示で約30分、田舎道を2キロ近く歩かなくてはならない(もっとも、上総中川の駅から歩いて行く人はまずいないだろう)。武士でも住んでいるような豪農屋敷があり、アユ(浜崎あゆみ)と思しき人物イラストをペインティングしたバンが置かれた駐車場、黒っぽい鶏を放し飼いする養鶏場などを横目にズンズン歩いていくと、広大な田んぼの向こうの丘上に赤や黄の車両が垣間見えた。

田園風景の中に突如、見えてくるポッポの丘。

 回り込むように上った坂上の広場には、昔の丸ノ内線や京浜急行、中央線、銚子電鉄……僕の世代には見おぼえのある古車両が7、8、9台、10台と展示されている。ここは個人(村石愛二氏)の方が運営する鉄道ミュージアムなのだ。
 雨が強くなるなか、村石さんは傘もささずに1台、1台、保存車両を案内、解説をしてくれた。

車両ひとつひとつにあるストーリーがファンを惹きつけてやまないのだろう。

「そもそも養鶏農家をやってたんだけど、10年前、あの震災のちょっと前にひょんなことから、『いすみ鉄道』の廃車を買わされちゃいましてね。広い土地があるんだったら引きとってくれって。あそこの200型の黄色い車両ですよ、税金入れて200万円ちょっと。それが最初なんですよ」
 この山は牛の放牧場を計画して購入したらしいが、その後、鉄道愛好家のサークルなどを通じて次々と各所の保存車両がここに集まるようになって、牛ならぬ車両の牧場ができあがった。

車内はカフェやギャラリーとしても活用されている。

 いすみ鉄道の車両は内部がカフェ(地場の鶏卵、いすみ米を使ったタマゴかけごはんなどが味わえる)になっていたが、鉄道資料を展示したり、グッズを販売したり、車内もバラエティーに富んでいる。一段高い丘上には70、80年代頃に活躍した国鉄の特急電車(183系など)が配置され、空きスペースにまだまだ旧車両がやってくる予定らしい。
 高い所から一帯を見渡すと、鉄道会社がやるきちんとしたミュージアムと違って、山間の空き地に塗装の剥げた昔の車両が程よく雑に置かれている感じがいい。僕らが乗った小湊鉄道の気動車もいつかこの丘にやってくるのかもしれない。

PROFILE


◇泉麻人(コラムニスト)
1956年東京生まれ。慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストとして活動。東京に関する著作を多く著わす。近著に『夏の迷い子』(中央公論新社)、『大東京23区散歩』(講談社)、『東京 いつもの喫茶店』(平凡社)、『1964 前の東京オリンピックのころを回想してみた。』(三賢社)、『冗談音楽の怪人・三木鶏郎』(新潮新書)、『東京いつもの喫茶店』(平凡社)、『大東京のらりくらりバス遊覧』(東京新聞)などがある。



◇なかむらるみ(イラストレーター)
1980年東京都新宿区生まれ。武蔵野美術大学デザイン情報学科卒。著書に『おじさん図鑑』(小学館)、『おじさん追跡日記』(文藝春秋)がある。
https://tsumamu.tumblr.com/

関連キーワード

PR情報