秘めた言葉 自由に 「異界」へ いざなう新鋭 マーサ・ナカムラさん(詩人)

2020年11月7日 13時22分
 第一詩集『狸(たぬき)の匣(はこ)』(思潮社)が二〇一八年の中原中也賞に選ばれ、今秋には第二詩集『雨をよぶ灯台』(同)で萩原朔太郎賞を最年少の二十九歳で受賞した。新進気鋭の詩人マーサ・ナカムラさん(30)の作品は、読む者を鮮やかに「異界」へいざなう。例えば、「湯葉」(『狸の匣』所収)の一節。
 <川の幅いっぱいに面影が流れてくる。/ある日の母の笑顔を写真のように切り抜いた映像(シーン)が流れてくる。/いつものように、叔父が長い竹竿(たけざお)ですくうと、/長い湯葉のようなものが竿に垂れ下がる。/薄白い物体にはなんの印刷も施されていないことを確認して川へ戻すと、/母の顔は少しひしゃげて、下流へ流れていくのであった。>
 何とも不思議な情景が、鮮明に思い浮かぶのだ。これは作者の狙い通りらしい。待ち合わせた宇都宮市内の公園で、マーサさんが朗らかに説く。「詩を書く時には、強烈なイメージが先にあって、どうやったら効果的に伝えられるかな、と考えて構成しています」
 大好きな旅行で訪ねた土地で着想を得ることも多いという。「篠(しの)の目原(めばら)を行く」(『雨をよぶ灯台』所収)にはこんな一節がある。<一年が明けて春になった/夕方の空の蒼(あお)さが浅くなるにつれ、潮は引いていく/あの島へ続く海水は浅くなる/確かに時がくれば、道は整うのである>
 沖縄・宮古島の北にある大神島へ船で渡った時のこと。隣に座った地元のおじいさんが話し掛けてくる方言が聞き取れなかった。「たぶん、干潮の時はあそこの旗が立っているところを歩けば、船に乗らなくても島へ行けるって言ったのかなと。その時に、道が整っていく映像とその一節が思い浮かんだんです」
 子どもの頃から詩に親しんできたわけではない。実家のある埼玉県から都内の中高一貫の女子校に進学。東京大学を目指し「ガリ勉だったんですよ」と当時を振り返る。しかし、合格はかなわなかった。大学受験から解放され「自分のために好きなことをやろう。文学を思い切りやろう」と大学生活を思い定めた。
 当初は小説を書いてみたが、うまくいかない。詩と出合ったのは三年生の時だった。詩人の蜂飼耳さんの授業がきっかけで、宮城県出身の詩人尾形亀之助(一九〇〇〜四二年)を知る。それまで詩といえば、行分けやテンポのいいリズムといった固定観念があった。だが、亀之助は違った。「散文詩は行分けにもテンポにもとらわれず、自分が表現したいものを自由に書けるんだ、私も散文詩を書いてみようって」。授業で発表した詩を蜂飼さんに褒められ、「そこからぱっと開けた感じになった」。
 卒業後の進路は悩んだ末に、「あえて困難な状況に自分を置くことで最高の詩を作ろう」と決意し、民間企業に総合職で入社。月刊誌『現代詩手帖』に作品の投稿を始めた。ユニークなペンネームもその頃から。遊び心で、自らの名前と、自分にとって運のいい名字を組み合わせた。
 よく通る声は、日本文化への関心から中高、大学の部活動などで続けた能楽の鍛錬にもよるのだろう。言葉を選びつつなめらかに、時にユーモアを交えて話すマーサさんが、「コンプレックスがあって」と口にしたのは意外だった。女子校に入ってから突然、同級生らに「変わってる」と言われるようになり、目立ちたくない一心で発言も控えがちになったのだという。
 「詩は、作品にすることで、読んでくれる人が自分の言葉を聞いてくれる。『これだけは伝えたい』という言葉とイメージを、厳選してる感じですね。普段の生活で押し込められている言葉を、爆発させてる感じなんだと思います」
 だからこそ、詩作では自由でありたい。一見、支離滅裂な表現がストーリーのようにつながる面白さにも手応えを感じている。読む人には、作品で展開する「異界」を楽しんでもらえたらと願う。中原中也賞の受賞後、何も書けない時期が約一年続いた。苦しみの中で確かめたのは、詩作に対する真っすぐな姿勢だった。「いい作品を残すのが第一目標でありたい、と思ったんです」 (北爪三記)

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