<ふくしまの10年・元牛飼い2人の軌跡>(2)原乳を捨て続ける日々

2020年11月11日 07時30分

自宅近くに掘った穴に、原乳を捨て続ける長谷川健一さん=2011年5月19日、飯舘村で(豊田直巳さん提供)

 村内が厳しい放射能汚染に見舞われていると知りつつ、飯舘村で約五十頭の乳牛を飼う長谷川健一さん(67)は現地に残った。牛を残してはいけなかった。
 だが二〇一一年三月十一日の大地震で、原乳の納入先だった郡山市の工場が被災し、持って行き場がなくなった。
 さらに十五日、東京電力福島第一原発から飛来した大量の放射性物質が雨や雪で村一面に降り、十九日には村内産の原乳から基準値(当時の暫定基準は一キログラム当たり三〇〇ベクレル)を大幅に超える放射性ヨウ素が検出され、出荷そのものができなくなった。
 乳牛は搾乳してやらないと乳房炎を起こす。来る日も来る日も売れる見込みのない原乳をしぼっては、自宅近くの牧草地に掘った穴に廃棄する日々が続いた。
 「つらいとか、悲しいというより、サバサバした気持ちだったなあ。だって、どうしようもないんだから」
 長谷川さんは当時の心情をこう表現した。
 しかし、牛に食べさせる餌が足りなくなった。牧草は事故前に刈り取って大量に保管してあったが、トウモロコシや麦を配合した濃厚飼料はそれほど蓄えはなく、あげる量を三分の一に減らすしかなかった。
 やせていく牛に、「何とかしてやりたいな」との思いが募った。
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