<ふくしまの10年・元牛飼い2人の軌跡>(3)牛の姿は村から消えた

2020年11月12日 07時19分

牛が消えた牛舎で寂しげに立つ長谷川健一さん=2011年10月19日、飯舘村で(豊田直巳さん提供)

 東京電力福島第一原発事故から一カ月がたった二〇一一年四月十一日、国は飯舘村を「計画的避難区域」に指定し、全村避難とする方針を決定した。長谷川健一さん(67)ら酪農家は、飼育する牛をどうするか、苦しい判断を迫られた。
 四月三十日には東電副社長らが村に謝罪に訪れた。約千三百人の村民が集まる中で、長谷川さんは「牛飼いはやめるしかないと覚悟したんだ。苦渋の判断だ」と訴えた。
 子牛は福島県内でも汚染度の低い地域に移し、状態がおもわしくない牛から処分を始める対応を始めた。
 しかし、牛を置き去りに避難を迫られた南相馬市の原発二十キロ圏内で、餓死し白骨化した牛の映像を目にした長谷川さんは考えを変えた。
 「殺してはなんねえ。牛は家族と同じ。とんでもない話。何とか生かしてやらねば」
 飼っていた五十頭のうち十二頭は既に処分してしまったが、残った牛はたとえ「ただ同然」の安値であっても売却し、牛を生かす道を選んだ。
 やがて牛舎から牛の姿は消えた。当時、牛舎で長谷川さんを取材した写真家の豊田直巳さん(64)は「『築いてきたものが、一瞬で崩れ去った』と絶望する姿に、かける言葉もなかった。区長、酪農のリーダーという責任感があったから、何とか自分を保っている様子だった」と話す。
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