<ふくしまの10年・元牛飼い2人の軌跡>(4)朽ちるのには耐えられない

2020年11月13日 08時12分

避難指示が続く間も、長谷川健一さん(手前)は集落の草刈りを欠かさなかった=2016年8月7日、飯舘村で(豊田直巳さん提供)

 飯舘村の元酪農家、長谷川健一さん(67)は前田地区の全戸が避難したのを見届け、原発事故発生から約五カ月後の八月二日、隣接する伊達市の仮設住宅に移った。
 「ばらばらになっちゃなんねえと、地区の各戸を回って伊達仮設への入居を希望するよう言って回った。おかげで二十数軒がまとまって避難できたんだ」と長谷川さん。妻の花子さん(66)は仮設の集落の管理人を務めた。
 村には「見守り隊」としてしばしばパトロールに訪れていた。地区の草刈りは事故後も地区の人々と欠かさず続けてきた。「まえた」の三文字が浮かび上がる斜面の植え込みも維持してきた。
 だが、長い年月をかけ培ってきた農地では除染で表土が剥ぎ取られ、黒い大型土のうに詰められて積み上がっていく。表土を剥がれた農地には白っぽい山砂が入れられ、雑草が生えてくる。牛を失い、利用されなくなった牧草地も放置すれば荒れていく。
 「息子や孫は帰らない。いや帰さないさ。でもふるさとが荒れ、朽ちていくのを見るのは耐えられない。ソバを栽培すれば、農地だけは保全できるかもしれない」
 こう考えた長谷川さんは、事故五年後の二〇一六年、地区の仲間とともに牧草地や田畑を再び耕し、ソバの作付けを開始。まずは広域に作付けするための種取りを始めた。
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