「先駆者」の苦闘を追跡 『紀元2600年の満州リーグ 帝国日本とプロ野球』 フリーライター・坂本邦夫さん(62)

2020年11月15日 07時00分
 東京五輪が“幻”に終わった一九四〇年夏、日本野球連盟に加盟する九球団が満州国に渡り、計七十二試合を戦った「満州リーグ」。「神武天皇即位二六〇〇年」の奉祝年に行われたこの大陸遠征で団長を務めた河野安通志(あつし)(一八八四〜一九四六)は、国内初のプロ野球チーム「日本運動協会」の設立発起人となり、チーム運営に粉骨砕身した人物。「日本プロ野球の真の先駆者」と評する。
 本書は、さげすまれ、長らく低迷を続けたプロ野球界の苦闘を、河野と、チーム初の朝鮮人選手の足跡を軸に追跡。今日の人気ぶりからは想像を絶する「埋もれた歴史」を、数多くの関係者の証言と綿密な資料調査を交えて白日の下にさらした労作だ。
 取材の端緒は、野球体育博物館(現・野球殿堂博物館)の図書室で目にした「満州リーグ」のスクラップブック。当初は奉祝年に合わせた数多くの事業の一つと考え、あまり気に留めなかったが、団長の河野に関心を寄せ、その野球人生を原点からたどっているうちに、「プロ野球が背負い続けた理不尽な排斥や差別の歴史が、くっきりと浮かび上がってきた」と明かす。
 早稲田大学野球部でエースとして活躍した河野。古巣の学生野球の興行化を憂慮し、大衆の娯楽にふさわしい存在として職業野球チームを発足させた。しかし「野球を商売の道具にするな」と学生野球界から猛反発を受ける。有力な選手集めに四苦八苦し、日本統治下の朝鮮でも選手を勧誘した。国内では対戦相手が限られ、海外遠征も行ったが、志半ばでチームは解散を余儀なくされた。
 一九三六年、正力松太郎(読売新聞社主)の主導で結成された日本職業野球連盟には「イーグルス」を率いて加盟。社会人チームがシノギを削り、野球熱が高かった満州に活路を求めた試みが、一回限りで終わった「満州リーグ」だった。
 河野は戦中にチームを解散。戦後、新チーム加盟を連盟に申請したが、却下の直前、脳出血で急逝した。「不当な汚名を返上しようと初志貫徹した生涯。しかし、評価は不当に低い。戦後のプロ野球の興隆を語る上で、あまり触れたくない人物なのかもしれません」
 「日本運動協会」設立から今年で百年。河野の出身地、石川県加賀市では十二月五日、生家跡近くの耳聞山公園で「顕彰碑建立」の起工式が行われる。岩波書店・三三〇〇円。 (安田信博)

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