孔丘 宮城谷昌光著

2020年11月15日 07時00分

◆学び続けた聖人の生涯
[評]清原康正(文芸評論家)

 中国・春秋時代の思想家、教育者で、儒教の祖として聖人君子と神格化されている孔子の生涯を描いた大河小説。
 物語は、孔子の母親の埋葬の場面から始まる。そして、孔子は孔丘と本名で表記される。その理由が記されている「あとがき」からまずは目を通していくことをお勧めしたい。
 著者はこれまでに『重耳(ちょうじ)』『晏子(あんし)』『介子推(かいしすい)』『管仲(かんちゅう)』『子産(しさん)』など春秋時代の英傑の人間像を数多く描いてきた。孔子と同時代を生きた『晏子』『子産』などでは、孔子のことにも触れられていた。五十代と六十代では孔子を書けなくて、七十歳をすぎたとき、神格化された孔子ではなく、「失言があり失敗もあった孔丘という人間を書く」と肚(はら)をくくったと記されている。こうした一文から、独自の孔子像を立ち上がらせていった執筆の経緯と筋立ての工夫が理解できる。
 魯(ろ)国に生まれた孔丘の七十三年の生涯は波瀾(はらん)に満ちている。身長九尺六寸(二メートル十六センチ)の堂々たる体躯(たいく)だった孔丘は、武人ではなく、学問で身を立てるべく懸命に学ぼうという志を持ち、魯国での下級役人を経て、首都・曲阜(きょくふ)で庶人に礼を教える教場を開いた。徳と礼を重視する熱血教師であった。魯のクーデターにより、周都で留学生活を始めた。三年後に魯に戻ったものの、再び魯を追われ、従者十五人と斉(せい)へ行く。
 魯に戻って君主から中都(ちゅうと)の長官に任命され、鄭(てい)の子産の政治を理想として政務に明け暮れる。だが、孔丘の存在を危険視する者が増えたため、魯を出て衛(えい)へ向かう。衛から宋(そう)、陳(ちん)、葉(しょう)と亡命生活が続いた。五十五歳で魯を出国し、六十八歳で帰国した。この間に、息子、有望な弟子たちを亡くした孔丘は、七十三歳で逝った。
 妻や息子との関係、門弟や諸国の君主たちとの問答を通して、孔丘の礼に対する思想がとらえられていく。『論語』からではつかみ得ない、人間孔丘がここには存在する。どんな境遇にあろうとも、学び続ける孔丘の心構えには圧倒されてしまう。
(文芸春秋・2200円)
1945年生まれ。作家。著書『夏姫春秋』『重耳』『子産』『劉邦』など。

◆もう1冊

白川静著『孔子伝』(中公文庫)。挫折と漂泊の生涯を描く。

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