ソ連の「赤い粛清」を戦前に告発、脚光 日本のソルジェニーツィン・勝野金政に脚光

2020年11月16日 16時13分
 社会主義に憧れ、そして幻滅した―。1930年代初頭、スターリン体制下のソ連で強制収容所に入れられた日本人がいる。長野県出身の共産主義者・勝野金政(01~84年)。スターリンによる粛清の一端を、世界に先駆けて告発した作家としてロシアで脚光を浴びている。(モスクワ・小柳悠志、写真も)

グラーク史博物館にある勝野金政の写真

 「日本のソルジェニーツィン」。ロシア通信は2年前、こんな題名で勝野を紹介するネット記事を発表した。ソルジェニーツィンはソ連の収容所を描き、70年にノーベル文学賞に輝いた作家。著作の発表は勝野の方が約30年早い。
 長女稲田明子さん(79)によると、勝野の実父は名古屋市の材木商。勝野は愛知県内の旧制中学に通った後、早稲田大でトルストイなどロシア文学に親しんだ。留学先のフランスでマルクス主義を学び、ソ連・モスクワに入った。

勝野を逮捕したGPUの元オフィス。粛清の時代の象徴とされる

 貧しい農民の出自を装い、国際共産主義組織コミンテルンの片山潜の秘書として活動。共産党員にもなったが、1930年にスパイ罪で国家政治保安部(GPU)に逮捕され、強制収容所に送り込まれた。スターリン側近の幹部ヤゴダの意向があったとされる。
 スターリンは当時、政敵を粛清する一方、コミンテルンの活動にも目を光らせていた。収容所の名目は「犯罪者の矯正」だが、実情は無実の人間もひっくるめて弾圧する装置。囚人は使い捨てに近い労働力だった。

ジョージア・ゴリのスターリン博物館に展示された、スターリンを描いたプロパガンダ画

 勝野に関する展示コーナーがあるモスクワのグラーク史博物館によれば、勝野が強制労働に就かされた運河の建設では1万2000人が死んだ。勝野は34年に減刑・釈放されると、モスクワの日本大使館に保護を求め、帰国に成功した。
 勝野は直後に発刊した手記「ソ連邦脱出記」でGPUが政略で人々を捕らえ、裁判にかけていたことを暴露。「ソ連の国際主義はうわべだけで、実態は国家主義」と喝破した。

秘密警察GPUなどの社会主義体制を暴露した「ソ連邦脱出記」

 革命を機に生まれた秘密警察が、組織内で硬直し、自由を圧殺することに勝野は危機感を覚えていた。果たしてソ連ではその後「大テロル」と呼ばれる粛清の嵐が吹き荒れた。
 勝野の死後、日ロの研究者によって抑圧に関わる証拠が明らかに。ロシア側は勝野のスパイ罪はぬれぎぬだったとして、遺族に名誉回復を伝えている。
 同博物館のタチアナ・ポリャンスカヤ主任研究員は「ソ連の専制体制は恐怖によって成り立っていた」とし、「国家が何かを達成するために人々を犠牲にするのは過ち。収容所の姿を記憶し、後世に伝えることが私たちの使命だ」と力を込める。

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