<ふくしまの10年・元牛飼い2人の軌跡>(6)全190頭が死亡し白骨化

2020年11月17日 06時49分

避難時に放され、県道を歩く乳牛の群れ=2011年4月18日、南相馬市で(豊田直巳さん提供)

 二〇一一年三月、南相馬市小高区の酪農家、相馬秀一さん(44)は、東京電力福島第一原発事故で全てを奪われた。父親から酪農を引き継いで六年目、飼育牛は五倍近い百九十頭まで増やしたところだった。
 事故発生翌日、原発二十キロ圏内に避難指示が出て、圏外の同市原町区に避難。その後は福島市など親戚宅を転々としながら、牛舎に通った。
 避難はせいぜい二週間くらいと思っていた。だが、十四日には3号機が水素爆発を起こすなど状況は悪化する一方。自らも爆発音を聞いた。それでも通い続けたが、搾乳されない乳牛は次々と乳房炎などの病気となり、一頭また一頭と死んでいった。
 「苦しめるくらいなら、いっそのこと牛を安楽死させてやりたい」と、県など各方面に掛け合ったが、対応してもらえなかった。牛や豚を放った農家もあり、相馬さんも放とうと考えたが「迷惑がかかる」とやめた。牛のことはあきらめるしかなかった。
 半年後の九月、牛舎を訪ねると、百九十頭全てが死亡し白骨化していた。
 「何と言っていいか。とにかく放置できない、何とかしなくてはと思った。仲間と東京の農林水産省に陳情したら『それは環境省(の業務)です』と言われてがっくり。結果的には、冬に片付けてもらえましたが…」
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