江戸の「はしか絵」に学ぶ 幕末・文久2年に大ブーム アマビエに通じる心のよりどころ

2020年11月18日 07時06分

「麻疹軽くする法」 画面右にあるのがタラヨウの葉。まじないの歌を書いて川に流すといいとの説明書きがある

 「命定め」と恐れられたはしかが大流行した幕末の文久2(1862)年、江戸の街に、予防や回復を願うカラフルな浮世絵があふれた。SNSに疫病よけの妖怪の絵を投稿する「#アマビエチャレンジ」も連想させる創作ブームが現代人に教えてくれるものは。
 大手製薬メーカー「エーザイ」(本社・文京区)が岐阜県各務原市の工場内で運営する「内藤記念くすり博物館」は、約60点の「はしか絵」を所蔵する。
 特効薬のないころ、はしかの死亡率は高かった。症状を軽くする行為、食べてよいもの悪いもの、病後の健康法…。不安に応えるため、絵師たちは、多くの情報を作品に盛り込んだ。

「麻疹厄はらひ(全亭おろか戯述)」 はしかをはらう神の絵、呪文や、はしかが流行している世情を詠んだ歌が書かれている

 学芸員の稲垣裕美さんによると、天然痘の収束を願う「疱瘡(ほうそう)絵」などさまざまある感染症の絵の中でも、はしか絵は特にバラエティーに富んでいる。はしかは約20年に1度のサイクルで流行した。「過去の記憶が薄れ、どうしたらいいか分からない人が多かった」と推測している。

「はしか童子退治図」 顔や体に発疹があるはしか童子を、売り上げが落ちた酒屋のたる、客が減った屋形船などが数珠で取り押さえようとし、はしかでもうけた薬屋の薬袋が制止している。食べていいもの、悪いものの記述もある

 緑の葉が、モチーフとしてしばしば登場する。モチノキ科の常緑樹、タラヨウだ。葉の裏を引っかくと黒く変色して墨で字を書いたようになる。「葉書(はがき)」の語源の一つともされる、葉っぱにまじないの歌を書き、川に流すと、はしか退散に効くとされた。

タラヨウの葉を持つ長本光さん。新型コロナの感染拡大で「人というのは川を流れる葉っぱのようなものなのかもしれない」と感じている=埼玉県春日部市で

 埼玉県春日部市の江戸川と中川に挟まれた「シタヤ」と呼ばれる水田地帯に、はしかの流行から2年後の文久4年に建てられた、かやぶき屋根の民家がある。森林や公園管理が業務のコンサルティング会社「コミュニティ・ディベロップメント・パートナーズ」社長の長本光さん(44)が2007年に起業した際、先祖から引き継いだ家を事務所にした。庭にタラヨウの大木がある。
 緊急事態宣言下の5月、新型コロナに「言いようのない不安」を感じていた長本さんは、タラヨウの葉の裏に、はしか絵に登場するまじないの歌をアマビエと一緒に書いてみた。
 むぎどのは 生まれぬさきに はしかして
 はしかになると、のどが麦でこすったときのようにいがらっぽくなるため、疫病退散の神「麦殿」が信仰された。「生まれないうちから、はしかにかかっていた」と歌われたのは、はしかは一度かかれば、もう感染しないと信じられていたからだ。
 抜本的な解決策が分からないことでは、文久2年のはしかも現代の新型コロナも変わらない。長本さんは「社会が混乱したときに、何を心のよりどころにすればいいのか。『歴史』に学びたかった」と振り返る。
 社会風刺や世相を描いた「時事浮世絵」の研究者、加藤光男さん(59)=埼玉県立嵐山史跡の博物館学芸主幹=は、はしか絵の全体像を調査した。確認されている約100点は、多くが幕府の検閲に通ったことを証明する「改印」が入る。
 安政江戸地震(1855年)の後、幕府に無届けで出版された「鯰(なまず)絵」とは違い、作者や版元が明確になっている。政治への「天罰」や「世直し」への期待が読み取れる鯰絵のようなメッセージ性はないため、規制対象にならなかった。
 改印の時期は主に2回。はしかの流行が始まった4月と、ピークを迎えた7月に分けられる。4月は、タラヨウや、魔よけの神「鍾馗(しょうき)」など呪符的なものが目立ったが、7月になると下火になる。加藤さんは「まじないをしても効果がないと分かり、はやらなくなった」と分析する。
 経験による取捨選択で、役に立たない情報は淘汰(とうた)された。新型コロナの流行初期のころ「効く」と言われた納豆やバナナがスーパーの店頭から消える「パニック購買」が起き、次第に落ち着いていったことを思い出させる。「江戸時代も現代も情報の受け止め方に差はない」(加藤さん)。いつの時代も肝要なのは、真偽不明の情報との付き合い方のようだ。
※はしか絵はいずれも埼玉県立文書館所蔵「無断転載禁止」
 文と写真・浅田晃弘
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