早世の詩人、情熱つづる 安中出身の磯貝雲峰 書簡など親類が同志社大に寄贈

2020年11月18日 07時14分

磯貝雲峰の書簡などを寄贈した淡路明子さん(右)と受け取った同大の小枝弘和さん(右から2人目)ら=安中市松井田町で

 安中市出身で、同志社英学校(現同志社大)などで新島襄の薫陶を受けた早世の詩人、磯貝雲峰(うんぽう)(本名・由太郎、一八六五〜九七年)の親類が、雲峰が実家に宛てた書簡などの資料を同大に寄贈した。後に「新体詩の先駆者」と呼ばれた雲峰の青年期の苦学の様子や学問への情熱がつづられ、大学関係者は「同志社草創期の様子や学生の思い、生活がリアルに伝わる貴重な資料」と評価した。 (石井宏昌)

磯貝雲峰(淡路明子さん提供)

 雲峰の長兄のひ孫で、生家に近い同市松井田町国衙(こくが)の淡路明子さん(62)が大切に保管していた。雲峰は一八八五(明治十八)年に同志社英学校に進学。文学を志し、在学中に徳冨蘆花(一八六八〜一九二七年)と親友になった。教師などを務めた後、新島襄と同じ米国アーモスト大で学んだが、病気のため帰国。三十二歳で死去した。
 資料は雲峰が同志社在学中の書簡十四通や新島襄の名が入った卒業証書など。十三通は実家に学費や書籍代を依頼する内容。「食物より衣服より何より望むものは書物」「どうか書物を買うお金を送ってほしい」などと懇願し、学問への強い情熱がうかがえる。もう一通は新島襄に洋書代金を尋ねる内容で、襄に宛てた手紙の下書きとみられる。
 蘆花の兄で、本紙の前身の一つ「國民新聞」を主宰した徳富蘇峰(一八六三〜一九五七年)の直筆の書もある。雲峰の生家跡に一九四一(昭和十六)年に建てられた記念の石碑に刻むため、前年に揮毫(きごう)された。
 資料は約五十年前に大学側から寄贈の打診があったが、当時は地元の高校生や郷土史家らの関心も高く、地元に置いておいた。淡路さんは「民家では湿気などで傷んでしまうのが心配だった。大切にしてもらえる所に保管していただき、ほっとしている」と話した。
 同志社社史資料センターの小枝弘和さん(45)は「論文集にまとめ、今後の研究に生かしたい」とした。

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