<ふくしまの10年・元牛飼い2人の軌跡>(7)基準値超えにもめげず
2020年11月18日 07時33分
東京電力福島第一原発事故で酪農の仕事を奪われた南相馬市小高区の酪農家、相馬秀一さん(44)は二〇一三年十二月、同市の北にある相馬市にアパートを借りた。
その前は郡山市でスーパーへの牛乳の配送をし、相馬市に移ってからは、津波被災地での農地保全、同市での農地除染の作業員などをしつつ、再起する道を探した。
「事故前は、遊休農地と豊富にある牛ふんを使って、飼料を自給する有機酪農を目指してた。牧草やデントコーン(飼料用のトウモロコシ)も作ってたけど、二年も土地を放置すると雑草がすごい。原野のようになってた」
荒れた光景にめげず、相馬さんはトラクターなどを使って雑草を除去していった。
一四年、所有する農地はまだ除染されていなかったが、試験的にデントコーンを作付けした。農地を深く耕したことで、表層に積もった放射性セシウムは薄まったものの、地中にセシウムが残ることに変わりはない。作物に移行することは十分考えられる。
一キロ当たり最大一二二ベクレル。調べてもらうと、やはり移行していた。国の暫定基準(一〇〇ベクレル)を満たせる地点は多かったが、酪農組合独自の基準(三〇ベクレル)にはほぼ引っ掛かった。
「まだまだ全然だめだ」。しかし相馬さんはあきらめなかった。
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