韓国産ウイスキーの復活を マッサン目指す青年の夢、蒸留所開設を後押しした日韓の縁
2020年11月19日 16時00分
マッサンに憧れて―。1990年代にウイスキー製造が途絶えた韓国に、1人で国産ウイスキーの復活を目指す青年がいる。金 昌 洙 さん(34)は日本産ウイスキーの礎を築いたニッカウヰスキーの創業者、竹鶴政孝氏(1894~1979年)を目標に今月、自らの名を冠した「金昌洙蒸留所」をソウル近郊の金 浦 市に開設。10年越しの夢の裏には、日韓の縁があった。(ソウル・中村彰宏)
◆10年前に魅了され
銅色に光る蒸留器、ステンレスの発酵槽、オーク樽。かつて倉庫だった建物に蒸留の設備が並ぶ。「やっとここまでたどり着いた。不安もあるが、ワクワクしている」。今月中に蒸留を始めるという金さんは感慨深げに話す。
ウイスキーづくりを志したのは10年ほど前。学生時代に酒に興味を持ち、特に魅了させられたのがウイスキーだった。「長時間熟成させ、自然条件によっても味が変わる。人がコントロールできない部分が多い」
韓国では80年代にウイスキーを製造していたが、91年の輸入解禁で各メーカーが撤退。今でも韓国ブランドはあるが、すべて輸入原液をブレンドしたものだ。「酒好きが多い国なのに、国産がないのは悔しかった。自分でつくってやろうと思った」
◆お手本は日本、そしてマッサンの情熱
いったんは就職したが、酒づくりへの思いを捨てきれず退職。バーで働きながらウイスキーの勉強を始めた。韓国では個人で楽しむ酒づくりが認められており、自宅での蒸留も試した。
参考にしたのは隣国。「世界5大ウイスキー」に数えられる日本ウイスキーを研究する中で、竹鶴氏の存在を知った。NHK連続テレビ小説「マッサン」のモデルとしても知られる竹鶴氏は、ニッカ創業前に英スコットランドに留学。金さんも2014年、スコットランドを訪れ、テントで寝泊まりしながら自転車で6カ月かけて102カ所の蒸留所を回った。「マッサンのように情熱を持ち、技術を学んでいれば、いつかチャンスがくると思った」
◆帰国前夜に運命の出会い、そして秩父へ
帰国前日の夜、グラスゴーのバーで1人の日本人と出会う。「東洋人がいるのは珍しいな」と声をかけた相手が、出張で来ていた三沢秀さん(34)。埼玉県秩父市の「ベンチャーウイスキー」の社員だった。
同社は04年起業の新興メーカーだが、「イチローズモルト」が世界的な品評会で最高賞を4年連続で獲得するなど評価が高い。2人はウイスキー談議で盛り上がり、意気投合。その縁で金さんは15年、同社の蒸留所で1週間、ウイスキーづくりを学んだ。
三沢さんは「最初は試行錯誤の連続だと思うが、ウイスキー愛があれば、おいしいものができる。いいものをつくってほしい」とエールを送る。
◆「いつか世界を酔わす味を」
金さんはこの夏に韓国で出版された竹鶴氏の自伝「ウイスキーと私」の翻訳も手掛けた。経営していたバーを先月でたたみ、今後はウイスキーづくりに専念する。作業は全て1人。熟成を経て市場に出せるまでには最低でも3年ほど必要だが、深い味わいを出すにはさらに長い時間がかかる。
「簡単ではないと思うけど、いつか世界で認められるウイスキーをつくりたい。マッサンのように」
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