「文明開化の象徴」、車両基地跡地から驚きの出現 高輪築堤遺構

2020年11月22日 06時00分

明治6年ごろの錦絵「東京品川海辺蒸気車鉄道之真景」に描かれた高輪築堤(いずれも港区立郷土歴史館提供)

 1872(明治5)年の鉄道開通時をほうふつとさせる高輪築堤ちくていの遺構が、東京で最も新しいJR駅「高輪ゲートウェイ」(東京都港区)の直近から出土した。整然と積まれた石垣の一部は着工から150年を経ても健在で、東京名所として錦絵に描かれた当時の雰囲気を今に伝えている。(梅野光春)
 「築堤の上を走る蒸気機関車は、まるで海を渡るよう。明治維新後の文明開化の象徴として、たびたび錦絵の題材になった」
 港区立郷土歴史館の川上悠介学芸員(42)は、高輪築堤についてこう解説する。
 明治初期の錦絵「東京品川海辺蒸気車鉄道之真景」では煙を吐いて客車を引く蒸気機関車と、駅間の連絡に使われた電信線、石垣のある築堤が描かれている。線路の下をくぐる水路もあり、築堤の上部は草の生えた土手のようにも見える。手前の東海道には洋装で行き来する姿も交じり、文明開化の様子が見て取れる。

1887(明治20)年の地図に描かれた高輪築堤の一部(「増補港区近代沿革図集」による)。図の右上から中央下へ、海岸から少し離れた位置に築かれている

 1887(明治20)年の地図からは、海岸線が迫る現在のJR田町駅~品川駅付近に、築堤が続く様子を読み取れる。その後、線路増設のため陸側を埋め立てて築堤を拡幅するなど地形は変貌。築堤はJR山手線などの線路や車両基地の下に埋もれた。
 そして、着工から150年後、新駅の開発などで再び姿を現した。JR東日本の担当者は「長らく車両基地などで使用してきたエリア。記録もなく、遺構があるとは想定していなかった」と驚きを隠さない。

◆明治期の土木技術の再発見につながる可能性

 現在の再開発計画では、築堤の上に高さ170メートル前後のビル4棟などを建てる予定だ。調査期間は未定だが、遺構の保存や工事の遅れなど、再開発への影響は避けられそうにない。
 一方で、遠浅だった海のの上を列車が走り続けられた頑丈な構造や、西洋の様式を取り入れた可能性のある石垣の積み方など、明治期の土木技術の再発見につながる可能性は高い。
 今のところ、遺構は工事現場のフェンスに囲まれて地上からはほとんど見えず、見学会などの現地公開も予定されていない。JR京浜東北線で高輪ゲートウェイ駅から田町駅に向かう途中、高架を通過する際に石垣の一部を見られる。
 JR東日本は遺構の保存や再開発への影響について「調査結果を踏まえて検討する」としている。

◆「鉄道史上の宝物、観光資源にもなる」

 老川慶喜・立教大名誉教授(鉄道史)の話 出土して驚いた。日本の鉄道の出発点を示しつつ、周囲を埋め立てて新しい線路を敷設していった経過や石垣の積み方の変遷も分かる重層的な遺跡だ。再開発との兼ね合いは課題だが、保存は重要。鉄道史上の宝物であり、観光資源にもなるのではないか。

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