<ふくしまの10年・追われた土地の記憶>(1)語られた苦難の人生

2020年11月24日 06時48分

加藤君代さんの開拓時代の思い出が録音されたテープ

 南相馬市小高区にあった「ラーメン大将」の原田宗雄さん(76)、幸子さん(64)夫婦の話を、四月にこの欄で連載した。その時に幸子さんから聞いた「父は戦時中、東京で消防の仕事をしていて大変だったと聞いた」という言葉が気になっていた。
 戦時下での消防活動ということは、父親の加藤倉次さん(故人)は、繰り返される米軍の空襲で焼け野原となっていく東京で、消火に当たっていたということになる。それ以前には中国で従軍していたという。
 戦後、浪江町の津島地区に開拓に入った。二〇一一年の東京電力福島第一原発事故で苦労して開墾した土地から追われ、一七年に亡くなった。人生の片りんを聞くだけでも、原発事故が奪ったものの大きさや罪深さをあらためて感じた。
 戦争と原発事故という二度の大きな苦難に見舞われた人生を、せめて記事として残すことができないか。幸子さんに手紙や電話で連絡を取りながら考えていた。ただ、母の君代さんも一八年に亡くなっている。原田さん夫婦や親族の体調も思わしくない。長い避難生活の疲れも出ているのだろう。取材を進めたいと言うこともためらわれた。
 そんな時、幸子さんから一本のカセットテープが郵送で届いた。〇八年ごろ、地元の勉強会で母の君代さんが開拓の思い出について話した時の録音があることを思い出したのだという。
 急いでカセットプレーヤーを通販で買い、再生ボタンを押すと、幸子さんとよく似た明るい声が聞こえてきた。
 「加藤倉次の家内の加藤君代といいます。八十一歳になりました。私たち第一歩は東京へあこがれて出て行ったんです。それが昭和十八年でした。最初のうちはるんるんでした」
(早川由紀美が担当します)
◇ご意見はfukushima10@tokyo-np.co.jpへ

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