言葉こそが木内マジック なにくそ魂引き出した 甲子園3度優勝の名将が逝く

2020年11月24日 21時47分

選手に見送られながら球場を後にする木内監督=2011年7月27日

 茨城の常総学院高と取手二高の元監督・木内幸男さんが亡くなった。茨城の代表校の監督で、甲子園で優勝を果たしたのは木内さんしかいない。監督としての采配が注目を集めたが、その言葉も魅力的だった。
 常総学院高が2002年の夏の甲子園で、優勝した明徳義塾高(高知)と3回戦でぶつかり、8回に逆転された時の敗戦の弁。記者になり2年目で初めての甲子園取材で木内さんにぶら下がり、この言葉が印象に残っている。

◆「思いっきり泣いて」からはい上がって全国制覇

 「ワンサイドで負けるだろうと思っていた。やればできる。まあ、ここは特殊な場所だから。2年生には、来年また甲子園に来るという糧になったので、思いっきり泣いてほしい」
 木内さんと言えば、甲子園の湿度や風向きを計算し、調子のいい選手を見抜き、ズバリと采配を的中させていく「木内マジック」が代名詞だ。「理」や「論」に支えられたマジックを駆使しているようにも思われるが、実際は「情」の厚さを感じる場面が多かった。
 練習では選手に罵声を浴びせ、突き放し、選手の「なにくそ」という感情を引き出していた。そこから、はい上がってきた選手が活躍することをとても喜んでいた。
 明徳戦の悔しさを味わった2年生は、翌年の夏に主力として甲子園に戻ってきた。決勝で、大リーグ・カブスのダルビッシュ有投手を擁する東北高(宮城)を破り、優勝を果たすことになった。

◆教員を兼務せず職業監督、多くのプロを輩出

 木内さんの職業は「高校野球の監督」だ。多くの高校野球の監督とは異なり、学校の教員を兼務しなかった。茨城県土浦市の旧制土浦中学(現・土浦一高)を卒業後、まもなく母校の監督になり、1956年には取手二高の監督になる。無名の県立高を甲子園に出場させ、84年夏には決勝で、元巨人の桑田真澄投手や清原和博選手を擁する黄金時代のPL学園高(大阪)を破り、優勝に導く。
 木内監督の元からは、巨人などで活躍し、DeNAの2軍監督に就任する仁志敏久さんや、日本ハム現コーチの金子誠さんら多くのプロ野球選手が巣立った。野球界への貢献も大きい。
 生粋の茨城弁で人懐っこい笑みを浮かべながら、一つ一つのプレーを説明してくれた姿が今も鮮明に焼きついている。甲子園の土がよく似合う監督だった。(荒井六貴)

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