<ふくしまの10年・追われた土地の記憶>(2)空襲下 消防隊で奔走

2020年11月25日 07時21分

特別消防隊の仮庁舎は皇居外苑前の楠木正成像の前にあった =東京都千代田区で

 昭和十八(一九四三)年、東京に出てきた時、加藤君代さんはまだ十六か十七歳だった。夫の倉次さんは九歳年上だった。目黒区の下目黒で暮らした。「母は、東京では映画の封切りを見てたと話していました」。娘の原田幸子さん(64)は話す。戦時下とはいえ、まだ余裕はあったようだ。
 しかし戦局は悪化し、四四年秋から東京は繰り返し米軍の空襲に見舞われるようになる。幸子さんが送ってくれたカセットテープには、君代さんのこんな言葉が残されている。
 「夜寝る時は、靴履いて、体は畳の上、足は板の間に置いて寝ておりました」。倉次さんは消防隊員として働いていたため、空襲が激しくなると昼夜帰ってくることができなくなった。幸子さんによると遺品の中に「国会議事堂特別消防隊」と記された賞状や、給与を記した書面などがあったという。
 特別消防隊については、東京消防庁元消防士の中沢昭さん(83)の著書「皇居炎上」(近代消防社)に詳しい。皇居を含む重要施設を空襲から守るため、四二年秋に警視庁消防部に急きょ設けられ、皇居外苑の楠木正成像前に仮庁舎があった。
 中沢さんによると、特別消防隊は皇居内に常駐しておらず、周辺にいくつか仮の分遣所を作って警戒していたといい、国会議事堂特別消防隊は、その一つではないかという。
 四五年春、倉次さんは体調を崩した。消防の食事は「箸なんか立たないような軟らかいご飯(雑炊)」(君代さん)で、栄養失調状態に陥ったようだ。中沢さんによると「地元の消防署は街の人から差し入れがあったけど、特別消防隊はそういうことがまったくない。エリート集団とされていたからおなかがすいたとも言えなかった」という。
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