<東海第二原発 再考再稼働>(21)周辺首長、責任取れるか 元瓜連町長・先崎千尋さん(78)

2020年11月26日 07時49分
 地元の那珂市議会の原子力安全対策常任委員会が二十一日、日本原子力発電東海第二原発(東海村)の再稼働について市民の意見を聞く公聴会を開き、参加者の大半が「反対」だった。議員には今後も、住民投票やアンケートで広く意見を聞き、市民の代表として反対を表明してほしい。
 農業に長く携わる立場から、東海第二で事故が起きれば、東海村にとどまらない広い範囲の農家がもろに影響を受けることになると恐れている。農家は、その土地から離れて生活することができないからだ。
 原子力の危険性を認識したのは、一九九九年に東海村で起きたジェー・シー・オー(JCO)臨界事故。知り合いだった村内の干し芋農家は、生産量の一割程度しか売れなくなったり、ブドウ農家は客が離れてしまったり、風評被害で大変な思いをした。
 若い頃、東海第二ができた時は、この国の希望だと信じていた。だが、JCO事故で原子力は危険だと分かり、近くからなくしたいと考えるように。二〇一一年三月の東京電力福島第一原発事故で、その思いは決定的になった。
 福島第一の周辺住民は故郷を追われ、ほとんどは十年近くたった今も帰還できずにいる。私もJCO事故を経験したから、原子力災害が生活にどれほど影響があるかは想像できる。
 それでもやはり、被害の本当の悲惨さは現地に行かないと分からない。福島の事故を自分の問題として捉えようと、四年以上前から(全域が避難指示対象になった)福島県飯舘村や南相馬市などに、十回ほど足を運んでいる。
 飯舘村では、村内の大半の地域で避難指示が解除された直後に、帰還した農家から話を聞いた。村に帰ってきたのは七十、八十代の高齢者ばかりで、解除後も子どもや孫の世代はすぐには戻らない現実を知った。
 ひとたび事故を起こせば、これほどまでに多くの人たちに長期にわたり犠牲を強いる原発。そんなものは、始めた私たちの世代で終わらせなければならない、次の世代に残してはいけないという気持ちを強くしている。見聞きした被災地の現状は、日立市のタウン誌「スペースマガジン」やウェブメディア「NEWSつくば」に寄稿している。
 再稼働の際に事前同意を求められる東海村や那珂市など周辺六市村の首長たちは、仮に再稼働を認めて事故が起きたら、その責任を取れるのか。元首長の立場から問いたい。
 首長や県、市町村議会議員の多くは、選挙では再稼働への賛否を明言しないが、政治家として自身の考えを有権者に明らかにするべきだ。東北電力女川原発(宮城県女川町、石巻市)のように、十分な議論がないまま地元首長が同意することは絶対にあってはならない。 (聞き手・松村真一郎)
     ◇
 次回は来年二月上旬に掲載予定です。
<まっさき・ちひろ> 1942年、瓜連町(現・那珂市)生まれ。農協職員や町議などを経て、90〜94年に町長。茨城大や筑波大などの非常勤講師も務めた。旧知の村上達也・前東海村長とともに市民団体「東海第二原発の再稼働を止める会」の共同代表。「ほしいも百年百話」などの著書がある。

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