異次元のプレー、感情を爆発させる人間っぽさ…マラドーナさんは日本の少年たちの最大の憧れだった

2020年11月27日 10時59分
マラドーナさんの死を悼み、抱き合う人々=26日、アルゼンチン・ブエノスアイレス(AP=共同)

マラドーナさんの死を悼み、抱き合う人々=26日、アルゼンチン・ブエノスアイレス(AP=共同)

  • マラドーナさんの死を悼み、抱き合う人々=26日、アルゼンチン・ブエノスアイレス(AP=共同)
 80歳を迎えたペレさんの健康を懸念する話題を読んだばかりだったのに、彼より20歳も若いマラドーナさんの訃報を聞いて衝撃を受けた。
 マラドーナさんは、ペレさんと肩を並べる「20世紀最高のサッカー選手」だった。ペレさんと同じ17歳でのW杯出場はならなかったが、21歳から4大会に出場し、優勝と準優勝を経験。とくに1986年のメキシコ大会は「マラドーナの、マラドーナによる、マラドーナのための大会」と言われるほどの活躍だった。
 この大会のアルゼンチンの全7試合を全てスタジアムで見ることができたのは幸運だった。イングランド戦の「神の手」ゴールは、巨大なスタジアムの記者席からは当初、分からなかった。試合後にプレスセンターに戻って「ハンド」だったと知ったが、衝撃の「5人抜き」で、もうどうでもいいことのようにも感じていた。グループリーグのイタリア戦や準決勝のベルギー戦のゴールも、誰にもまねできないものだった。
 90年大会は足首の痛みを抱えながら、決勝に進出。当時所属していたナポリ(イタリア)では「救世主」のように扱われながら、準決勝でイタリアを倒したことで国民の憎悪の的にされた。その悔しさをあふれさせた決勝後の涙は、鮮烈な記憶だ。
 海外の情報が豊富に入るようになった80年代。マラドーナさんは日本の少年たちの最大の夢でもあった。79年に日本で開催された20歳以下の大会、世界ユース選手権にアルゼンチンの主将として18歳で出場。異次元のプレーで優勝に導いた新しい「サッカーの王様」は、日本の中学生より小さかった。その後も所属クラブの一員として、南米選抜のメンバーとして来日。この時代、日本の少年たちをサッカーに引きつけたのが、漫画「キャプテン翼」とともにマラドーナさんだったのは間違いない。
 薬物依存という暗い影もつきまとい、91年には逮捕された。94年W杯では禁止薬物使用により大会途中で追放された。そのW杯の直前にアルゼンチン代表が日本で親善試合をする契約がまとまっていた。だが、日本政府は「薬物使用の逮捕歴がある」としてマラドーナさんの入国を拒否、アルゼンチン代表は「主将抜きでは行けない」と来日を中止した。
 引退後は監督も務め、2010年にはアルゼンチン代表監督としてW杯に復帰。カメラマンたちは試合をそっちのけにベンチばかり撮影していた。
 ペレさんが80歳まで演じ続けているのが「優等生」なら、マラドーナさんの魅力は、その仮面など最初からかなぐり捨てた「人間っぽさ」。それが少年たちの憧れを生んだのではないか。(大住良之=サッカージャーナリスト)

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