マラドーナさん「最後の働き場所は日本」 幻の獲得交渉

2020年11月28日 08時51分
 

桑原勝義さん(左)とイタリア・ナポリの食堂で握手をかわすマラドーナさん=桑原さん提供


 25日に死去した元アルゼンチン代表のディエゴ・マラドーナさん(60)。史上最高のサッカー選手の1人として知られるマラドーナさんは、実は現役最後に日本でのプレーに意欲を見せていたという。なぜ実現しなかったのか。当時獲得に動いた静岡県内のサッカー関係者らからは、惜別のコメントが相次いだ。
 日本フットボールリーグ(JFL)理事長の桑原勝義さん(76)=藤枝東高出身、浜松市=は「1990年代にマラドーナさん獲得に動いたことが懐かしい思い出だ」と語った。桑原さんは1987年、J1サガン鳥栖の前身で、浜松市を本拠地にしたPJMフューチャーズを立ち上げ、監督に就任。世界に通用するクラブづくりを進めてきた。静岡県西部支部3部リーグを振り出しに毎年昇格した。
 そんな中、PJMフューチャーズはクラブをもっと成長させる人材を要望、世界的スターのマラドーナさん獲得に動いた。桑原さんは90年9月、イタリアのナポリでマラドーナさんと接触、獲得の意思を伝えた。マラドーナさんは「最後の働き場所は日本」と回答してくれた。
 その後、マラドーナさんにコカイン使用疑惑などがあり、交渉はできなくなった。桑原さんは「PJMはマラドーナさんの弟のウーゴも獲得したし、背番号10を空けて待っていたが」と悔しさをにじませた。PJMフューチャーズは、鳥栖フューチャーズとチーム名を変えた後、現在はサガン鳥栖となっている。
 元静岡学園高サッカー部監督の井田勝通さん(78)=静岡市=は「残念だね。79年8月から東京などで開催されたワールドユース選手権で、マラドーナの追っ掛けをした。左足だけで、巧みな足技を披露、優勝にも貢献した」と当時を振り返った。「ふてぶてしいまでのずぶとい性格、統率力は多くのファンを魅了した。同じアルゼンチン代表のメッシとは違うタイプの選手だった」と評した。
 元ジュビロ磐田監督の長沢和明さん(62)=磐田市=は「彼の人生を振り返ると、破天荒という言葉が当てはまるのではないか。極貧の環境からはい上がり、スター選手となった。“神の手ゴール”を含め、さまざまな言動で多くのファンを魅了し、慌てさせた」と話した。(川住貴)

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